変わらない朝の風景と ~スピッツ「ロビンソン」感想その1


   スピッツで自転車の歌というと、真っ先に浮かぶのは「ロビンソン」です。「自転車」という曲名の歌もありますが、やはりどうしても「河原の道を自転車で走る君を追いかけた」という歌詞が頭に浮かんでしまいます。

   自転車っていいですよね。なんというか、青くさくて、青春のかおりがします。
   僕も十代のころに河原の道を自転車で走る君を追いかけたかったです。「追いついた~」とか言って悪ふざけで彼女の自転車の荷台につかまったら、ぐらぐらっとなって、自転車が倒れて、彼女といっしょに草の上に転げて、みつめあって笑うみたいな。ベタなアニメのワンシーンみたいなやつ。いいですよね。
   まあ、何度人生やり直してもそんな幸せな瞬間は訪れないでしょうけどね。ふ。

   僕は10代の学生のころも、30代の今も変わらず、自転車で家と駅の間を毎日往復してます。昔は電車通学だったので、実家から最寄り駅まで。今は実家の裏に建てた自宅から駅の近くの会社まで。20年間、(たまに県外に出たりもしましたが、)ほぼ同じルートを毎日自転車で往復しています。

   通勤通学に用いる街道は、長い一本道で、街道沿いの風景は昔とほとんど変わりません。新しい建物が建ったり、コンビニが出来たりつぶれたりしますが、道路が拡張されることもないので、信号待ちの車や歩道を歩く子どもたちの様子は、ほとんど同じです。
   自転車をこいで風を切りながら口ずさむ歌も、やはり昔と変わらない。たまに新しい曲もありますが、基本はスピッツ(と徳永英明)です。(最近何故か「楓」をよく歌う……)

   そんな風に、10代のころと同じ道を、変わらないスピッツの歌を歌って自転車をこいでいると、何年経ったのかがわからなくなります。10代のころの自分と今の自分との境目がぼやけて、地続きでつながっている気がします。
   10代の僕が「ロビンソン」を歌っているときにすれ違った短髪の高校生は、今も同じ道を通って、同じ学校に通っているんじゃないかとすら思えてくる。(もちろんそんなわけはないんですけど)

   風景が変わらないと書きましたが、ほんとに変わっていません。
「空も飛べるはず」の感想のときに書いた、不思議な体験をした交差点を今も毎朝渡っています。
「チェリー」を歌いながら角を曲がったら、男子高校生とばっちり目が合って「愛してる」と告白してしまった曲がり角には、そのときと同じアパートが今も建っています。
   朝が来て夜が来て季節が巡るように、自転車のペダルがそうなように、変わらない風景のなかをスピッツの歌がぐるぐると回っている。

   生きていると、ときどき、自分は何やってるんだろうって思うこともあるし、妻がいて息子が3人もいる今の状況は、本当に望んでいたこと・やりたかったことなのかなぁって不安になることもあるけれど、スピッツの歌を歌って十代のころと変わらない道を自転車で漕ぎ進んでいると、「あの頃からあんまり変わっていないなぁ、まあ、いいか」って気持ちになります。

   そして、5年後10年後も、できれば今と同じように自転車をこいでスピッツの歌をふんふん♪と歌っていられたらいいなと思います。「ルララ」と歌って、そこに変わらず魔法のような響きを感じていたい。

   10年後ーーその頃には僕も50歳(正確には48歳)になります。
   50歳の自分なんて全く想像もつかないし、どうなっているかもわからないですけれど、今のスピッツのメンバーの年齢に追いつくだけだと思えば、そうたいしたことではないのかもしれません。それに、自転車に乗ってスピッツの歌や新しく覚えた歌を歌っていられるならば、まだまだ大丈夫な気もします。

   まあ、河原の道で女の子を追いかける妄想(というか憧憬)からは確実に遠ざかっては行くんでしょうけれどね。ふ。

   タイトルに”その1”と書いたので、たぶん、”その2”に続きます。。。
   ⇒その2はこちら