猫にだってプライドはある ~スピッツ「ロビンソン」感想その2

   予告通り、「ロビンソン」の感想の第2回です。前回も変な感じの感想を書きましたが、飽きれずにどうかお付き合いください。

   突然ですが、みなさんは「ロビンソン」のどこが好きでしょうか?
   イントロのアルペジオ?--いいですよね、あのアルペジオのワンフレーズを聞いた瞬間にいっきにロビンソンの世界に引き込まれ、青く切ない気持ちになります。
   最初のAメロの歌詞?--これもいい。新しい季節は~♪ 僕も川原の道を自転車で走る女の子と追いかけっこしたかったです。(また、言ってるし)
   それとも、王道のサビ?--「誰も触れない二人だけの国」というロマンチックなフレーズと草野さんの美しいハイトーンボイス。うん、素敵すぎます。

   どこを切り出しても良いところばかりですが、僕は2題目のAメロが好きです。
   いや、別に、ちょっと外したところを言って、どやーってなりたいわけではないですよ。ほんとに好きなのです。短いセンテンスのなかに情景が見えるようで。

   歌詞の前半はこんな風です。
「片隅に捨てられて呼吸をやめない猫も どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ」
   この「無理やりに」の一言がすごく好きです。これがあるだけで主人公と猫とのやりとりのイメージがグッと広がります。

   疲れ切った主人公が都会の路地裏で捨て猫を見つけて、「ああ自分に似ているなぁ」と思ってその猫を抱き上げるんですね。でも、「無理やりに」ってあるから、猫はちょっと嫌がっているのではないかと思います。猫にだってプライドはあるわけで、「おまえといっしょにするニャ」とか「同情するならエサをくれニャ」とかいった感じで暴れ出す。
   都会の片隅で、猫に自分を投影して癒されたい主人公と、飼い主を選ぶ権利くらい俺にもあるニャと強気な姿勢の猫との攻防が繰り広げられます。しまいには猫が主人公を引っ掻いて、手のなかから逃げていく。
   主人公は「はあ、俺はどこへいっても独りかぁ」ってしょんぼりとなります。頬には(漫画みたいな)猫に引っかかれた傷もある。

   そして歌詞の後半です。
「いつもの交差点で見上げた丸い窓は薄汚れてる ぎりぎりの三日月も僕を見てた」
   猫に逃げられて独りになったあと(あるいは猫を抱き寄せたときに)主人公が見上げたビルの窓には三日月が映っている。細くても、ぎりぎりでも、月は月です。消えてなくなったりせず、月はそこにいて主人公を見ています。そして欠けた月はもう一度また大きくなっていきます。
   ここの歌詞は、いまが最底辺でこれからはだんだん上がっていくよと言っているように感じます。
   きっと満月になったら丸い窓に丸い月が映るんでしょうね。絵のような光景です。

   月が再び満ちたころ、「夢のほとり」にたどりつき、そして「二人だけの国」が「宇宙の風に乗る」。
   Aメロでどん底まで落としてから、Bメロ・サビで上昇していく。草野さんのキーの高さも相まって、上昇感が半端ないです。最高です。
   --とはいえ、自分が十代のころに好きだったのはサビの上昇感よりも、Aメロのどん底感でした。
   十代のころは片思いやら何やらいろいろ、ズタボロだったので、自分の置かれた心境に似た部分にどうしても惹かれてしまいます。
   実際に捨て猫を拾い上げることはしませんでしたが、気持ちの上ではすごくわかる。
   そして、猫には猫のプライドがあって、決して自分の思い通りにならないというところが、誰も自分を理解してくれず世界の中でひとりぼっちという、十代の孤独感によく合っています。そうした悲しみや寂しさが「抱き上げて 無理やりに頬よせるよ」という短い歌詞の中に詰め込まれているようで、「ロビンソン」の2題目のAメロはすごく好きなのでした。

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   ところで、2題目のAメロ(の歌詞)はどの曲でも結構当たりが多いと思うのですが、どうでしょう。他にはスピッツの「チェリー」も2題目のAメロが好きです。それはまた機会があればお話したいと思います。