令和6年能登半島地震の話(金沢にて)その1

   最初に書くと、僕は金沢に住んでいますが自分も家族も家屋も無事です。

令和6年能登半島地震の爪痕

大地震が来た

   元旦は朝から自宅裏の実家に集まって、両親と弟、妹家族と団らんした後、自宅に戻って家族でまったりと過ごしていました。

   地震が起きたときは家族5人とも1階のリビングルームにいました。


   16時頃、まずやや大きめの揺れが来ました。

   地震の少ない地域なのでみんなびっくりして机の下にささささっと隠れました。(この素早さは頼もしい)

   長男の逃げの速さに「いいねー」なんて笑ったりしてました。


   それから間髪を入れずに、スマホがビービー鳴り、大きな揺れが襲いました

   再び全員机の下に逃げ隠れます。

   家全体が激しく左右に動き、床が波の上に浮かぶベニヤ板のように薄く脆く感じられました。

   しかも長い。いつまで経っても揺れ続けます。


   50インチのテレビがぐらんぐらん揺れているのが目の端に見えます。

   倒れてくれるなよーと祈ります。

   次男は揺られすぎて気持ち悪くなっていました。


   ようやく揺れが収まり机の下から顔を出します。

   視界に入るものは、特に倒れているものも割れているものもありません。奇跡。

   全員怪我もなく無事です。


津波が来る!?

   しかしこれで終わりません。

   スマホがビービー鳴り響き、画面には大きく「津波警報」と表示されています。


   津波情報を見ると、金沢(か加賀)には約40分後に3mの津波が到達するという警報が出ています。

   とにかく高いところへ!ということで全員で一時的に2階に避難しようとします。

   が、廊下につながるドアが開かない。

   地震で冷蔵庫が移動して引き戸のレールに載ってしまい、ドアがぶつかって開かなくなっています。

   両手で冷蔵庫をつかんで、えいっ!と手前に動かし、無事ドアは開くようになりました。


   全員で2階に移りましたが、ここにいたらいいのか、外へ出たほうがいいのかわかりません。

   自宅は海からはそれなりに離れていますが標高がどれくらいかわからない。

   3mの津波警報に対して、何mの高さにいれば安全なのかもわからない。


   どうしよう、と考えを巡らせます。


   結局、3mの津波は来なかったのですが、あの瞬間どう思考するのが正しかったのか。


   次回に続きます。

   →https://tokagekami.blogspot.com/2024/01/R6-noto-jishin-02.html


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