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僕の妻も好きな歌です。
歌詞もいいけど途中のどどどどどーというドラムもいいと言ってました。
たしかに音に迫力があります。アルバムのラストを飾るにふさわしい力強い歌です。
また「さざなみCD」のなかには水や海に関係する言葉がたくさん出てきます。
アルバムタイトルや曲名の「漣(さざなみ)」「トビウオ」、それから「僕のギター」「群青」のなかの「霧雨」「海」「波」という単語など。そうした言葉を経て最後にたどり着いた先が「砂漠の花」というのがなんだか素敵です。
水は流れて雨になって砂漠に降り、花が咲く。
めぐりめぐって一つの世界を作っているという気がしてきます。なんとなくですが。
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歌のなかで僕が何よりも心をつかまれたのは
「砂漠の花の 思い出は今も
僕の背中をなでる
生きていく力をくれたよ」
です。
さらに後半では
「砂漠の花の 思い出を抱いて
ひとり歩いていける
まためぐり会う時まで」
とも言っています。
二つの歌詞を合わせると「砂漠の花の思い出」は「僕」に「生きていく力」を与え、その力によって「僕」は「めぐりあう」未来まで「ひとり」で「歩いていける」と言っています。
つまり、君との思い出が今もそしてこれからも僕に力をくれる、というのです。すごい!
でも本当に「思い出」にそんな力があるのでしょうか?
僕はこれまで辛いとき苦しいときに「楽しかった過去があるから大丈夫」と思えたことはほとんどありません。
どんなに素晴らしい思い出も、時とともに色あせ、今ここにある苦しみの前では何の力にもならない。
思い出だけで強く生きていけたらいいけど、そうじゃないことの方が多い気がします。(どちらかというと辛いときに力になるのは辛い経験だったり……)
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ずっと遠くまでひとりで歩いていける思い出とはどんなものなのでしょう?
砂漠の花の思い出とはいったい何なのか。
歌の中に出てくる「モノクロの世界の中」「『当たり前』にとらわれて」「初めて長い夢からハミ出す」という言葉から推測するに、それは君と出会えなかったら知ることのできなかった新しい感動です。
「僕」は砂漠に花は咲かないと思い込んでいた。(砂漠というのは僕をとらえていた「当たり前」というつまらないモノクロの世界のことなのかもしれません)
そんな「僕」の前で「君」は砂漠の乾いた大地に鮮やかな花を咲かせてみせた。
楽しいだけの思い出でも、ただ辛いだけの経験でもなくて、固定観念を壊すような新しい体験ーー「君」を通して得られた新鮮な感動こそが「僕」にとっての生きていく力となる「思い出」だったのではないでしょうか。
それにしても「君」はすごい人ですね。
今ここにいなくても、その記憶だけで「僕」の力の源になるのだから。
高嶺の花ではなくて砂漠の花。
きっと魔法使いのような人なんだろうな。
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「思い出」といえば、初めて彼女ができて、いっしょに観に行ったライブがスピッツのさざなみCDのコンサートツアーでした。
僕はそれまでライブにはひとりで行ったことしかなかったので、となりに女の子がいると、ライブが始まるまでちょっと緊張しました。
ライブが終わったころには緊張もほぐれ、帰り道に感想を話し合っていると、彼女が「『砂漠の花』の演奏のあとに、後ろの席の男性も『今の、いい曲だったなー』って言ってましたよ」と嬉しそうに報告してきました。
彼女も「砂漠の花」が好きだったので、まるで自分の持ち歌が誉められたみたいなほくほくの笑顔をしていたのを今でもよく覚えています。
その思い出が生きていく力になるかというとそんなこともないのですが、思い出すたびにちょっとくすぐったくなります。
そしてなるべくそのころの気持ちを忘れないでいたいなーと思うのでした。
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