虫と魔法 〜スピッツ「夢追い虫」感想

「夢追い虫」はスピッツのスペシャルアルバム第2弾「色色衣」の13曲目に収録されています。


「夢追い虫」の好きなところを順に3つあげていきます。


   まず音が力強い。

   ギターのバッキングが気持ちいい。ドラムも大きい。ベースも踊ってる。

   しかも重くてパワフルなのではなくて、軽快で力強い、というのがいいです。

   夜に聴いて明日もがんばろう♫という気持ちになって寝床につけます。

   夢だけに!!


* *

   次に「夢追い虫」というタイトルが秀逸です。

   夢という言葉と何を組み合わせるか?

   空を飛ぶ鳥ではなくて小さな虫というのがスピッツらしいです。


   歌詞を見てみても、夢と自分との立ち位置が小さな虫の視点から描かれています。

「僕らは少しずつ進む あくまでも」

「削れて減りながらも進む あくまでも」


   また夢を追う生活を、高尚なものではなくありふれた俗なものとして描いています。  

「笑ったり 泣いたり 当たり前の生活を」

「吐きそうなくらい 落ちそうなくらい エロに迷い込んでゆく」


   全体を通して決して夢を「高い壁」に比喩しないところが好きです。

   だって「高い壁」に喩えられたら、壁が高くなかったら「夢」ではないと否定されてるようで嫌じゃないですか。

   壁でもなんでもないものに阻まれてグダグダに迷って、ゲロ吐いて溝ダメに落っこちて、削れてすり減って、それでも地を這って進んでいく。

   僕らの日々なんてそんなもんじゃないでしょうか。

   等身大?いや等身大以下のリアルさです。

 

   そしてただリアルなだけではなくて、「ユメに見たあの場所に立つ日まで」とも歌っていて、ちょっと希望があるところが素敵です。


* * *

   最後に2回目のAメロの歌詞が好きです。

「美人じゃない 魔法もない バカな君が好きさ」


   この「魔法もない」という言葉が個人的にはツボです。

   なぜなら「魔法がある」ことを前提にしているからです。

「魔法」を信じてないと「魔法もない」とは言えないですよね。


  二十歳を過ぎたころから、僕は魔法があるとかないとかではなくて、魔法を信じないでどうして生きていけるのだろうと思うようになりました。

   何もなしに生きていくには世界は残酷過ぎる。


   だから「魔法もない」という言葉には、どこかに魔法の余地が残されているようで好きです。


   もっとも、魔法があると言っても手から炎が出るとか、デッキブラシで空を飛べるとかそんなのではなくて……、ちょっとうまくいえないのですが、魔法があるとしたら、それは明喩から隠喩への不連続の飛躍のようなものなのではないかと思っています。


   例えば、突然目の前に満天の星空が広がったとき、あるいはライブハウスで音楽の熱狂が最高潮のとき、僕らは「それはまるで魔法のようだ」と感じます。

   それがもっともっと究極まで高まると「それは魔法だ」と、明喩をいっきに跳躍して隠喩が世界を表現する位相が現れます。


   ずーっとむかしに(きっと子供の頃)、そういう世界の位相が一変するような体験をしたことがあったなー、と。それが魔法だったのではないかと思うのでした。


  やや脱線してしまいましたが、夢があって、好きな君がいて、それなりに魔法を信じていて、いつか羽が生えて、僕らは虫で、当たり前に生活をしている。

   それはまあ最高じゃないですか、というお話。


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