「ハートが帰らない」はスピッツの9thアルバム「ハヤブサ」の9曲目に収録されています。
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白い霧のなかでまどろむような優しい雰囲気の歌です。
聴いていると心地よく眠れそうになります。
特に「霧が晴れたら二人でジュースでも」という歌詞がいい。お茶でもワインでもなくジュースというのが優しい。スッと力が抜けます。
でも歌詞の内容は切ないものになっています。
「君の微笑み取り戻せたら」「飛び出たハートが帰らない」など。彼女が去った後も心は忘れられずにいる、というような状況が想像できます。
それにもかかわらずなんだか夢見心地になってしまうのは、女性コーラスの影響が大きいのではないかと思います。
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「ハートが帰らない」はほぼ全パートに女性のコーラスが付いてきます。
これがこの歌の大きな特徴になっています。
(コーラスの女性はシンガーソングライターの五島良子さんという方だそうです)
これまでのスピッツの歌にも女性コーラスの歌はありました。
「群青」や「ヘチマの花」などです。
これらはコーラスが効果的に使われて歌の良さを引き立てています。しかし、なくても歌の世界観は変わらないように思います。
一方「ハートが帰らない」は女性コーラスなしでは成り立たない。この歌から女性コーラスを抜くと違う世界になってしまう。そんな気がします。
そもそもなぜ女性コーラスなんでしょう。
ずーっと不思議に思っていたことがあります。
それは、物語の中では主人公の男の子は彼女と離れて一人になっているのに、どうして女性と男性の二人で歌っているのかということです。(「二人でジュースでも」とは言っていますが「都合良すぎる筋書き」と書いてあるので話す機会があるにしてもうまくいく望みは少ないのでしょう)
ひとりぼっちなんだから一人で歌うべきなのではないか。
なぜ君(彼女)は一人の世界に割り込み、寄り添うように歌い続けているのか?
これは霧のなかで僕が見ている彼女の夢ということなのかもしれません。
しかしそれよりも、もしかしたら彼女も同じことを思って歌っているのではないかと最近考えるようになりました。
僕が「ハートが帰らない」ように彼女も「ハートが帰らな」くて、彼女も同じように「ジュースでも」と僕を誘いたがっていて「都合の良い筋書き」を思い浮かべているのかもしれない。
この歌は僕の歌詞(気持ち)であり彼女の歌詞(気持ち)でもある。
だから男女で歌っている。それぞれに。
そしていつか二人でジュースを飲んで微笑む日がまた来る。
そうだったらいいなーと思いました。
優しい世界であってほしいというただの願望ですが。
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余談ですがこの歌を聞くたびに漠然と思い出す小説があります。
筒井康隆の短編「睡魔のいる夏」です。
催眠ガスの入った新型爆弾を落とされた街の最後の様子が描かれていて、街の人々は徐々に眠りについていく。
眠りの先に待っているのは死なのですが、描かれている雰囲気が静かで優しい。
歌の最後の「また眠るよ ああ もう少しだけ」と落ちていく感じを耳にするたびに筒井康隆のこの小説を思い出します。
眠る以外に歌と小説に特に共通点はないのですが、もし興味があったら読んでみてください。
怖いのに優しいという不思議な気持ちになる短編です。
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