KYOTO 〜スピッツ「初夏の日」感想

「初夏の日」はスピッツの16thアルバム「見っけ」の11曲目に収録されています。

スピッツ 見っけ


   熱いロックなアルバム「見っけ」のなかで「初夏の日」は落ち着いた静かな一曲です。

   さらさらと涼し気な風に肌を撫でられているようで心が和みます。

   そしてちょっと不思議な気持ちになる曲でもあります。


京都へ

「初夏の日」には地名が出てきます。

「君と二人京都へ 鼻うたをからませて」

   スピッツが「京都」と歌うとなんだか不思議な響きがします。


   スピッツが歌のなかに地名を出してきたのはこれかが初めてではありません。

「天神駅」「大宮」「武蔵野」「東京」など今までにも稀にあります。

   それらと今回とでは地名から受ける印象がか違って感じられます。

   僕の中では「天神駅」や「東京」は歌のアクセントを付けるために無理やり入れてきた感じがします。

   その強引さが逆にスピッツらしい地名の歌い方という気もして、地名が出ている歌は、「地名に選ばれたところいいなー。(特に大宮)」とか羨ましく思ってしまいます。


   一方、今回の「京都」はすごく自然に歌われていて、さらっと聞き流してしまいそうになります。

   これまでスピッツに京都のイメージがなかったので、ここまで自然に京都を歌ってきたのが意外でした。


   ただ、なんだか不思議な空気感があるんですよね。

   それは「京都」を中心に、歌のなかに散りばめられた言葉から発せられているような気がします。

「遠くではしゃぐ子供の声」「朱色の合言葉」「そんな夢」「白い湖畔のコテージ」「つぶつぶ」「黄昏」「甘い匂い」など。


   森見登美彦の小説に出てくるような京都の路地に迷い込んで、同じ町並みのなかをぐるぐると回り続けているような。

   同じ夏を何度も繰り返すループものの物語のなかに入り込んだような。

   そんな気持ちになります。


   京都とスピッツが合わさると魔力が発動し、空間が曲がり、時間がねじれるのです。

   しかもそれが初夏ならなおさらです。夏の魔物がいます。


気がつけば木曜日

   なんだか奇妙な場所に入り込んだような気持ちにさせられる理由は他にも、後半の歌詞のなかにあります。

「そんな夢を見てるだけさ 止まって感じた地球も
   気がつけば木曜日 同じような」


   普段は地球が回っていることを意識しないので、地球が止まって感じることもそうそうないと思うのですが、歌のなかの彼にはどうやら止まって感じるようです。

   しかも朝が夜になったというのではなくて、曜日が変わったと言っているのですから、自転ではなくて公転が止まっていることになります。

   あの公転ですよ。これはかなりすごい力です。(まあ自転が止まってもすごいですが)

   この時間移動的な描写がよりいっそうこの歌の不思議な感じに貢献していると思われます。


   それにしても、曜日のチョイスが絶妙ですよね。

   たしかに、気がつくなら木曜日かなと。

 「気がつけば金曜日」でも「気がつけば水曜日」でもない。

   ここでは、ちょっと地味な木曜日がぴったりです。

「ああ、もう木曜日か」とか、週の半ばに言ったことありそうですもんね。


ぬるま湯の外まで

   京都は海と接しているイメージがあまりありません。(実際には天橋立などもあって日本海側まで伸びてますが)

   しかしサビでは唐突に「ぬるま湯の外まで 泳ぎ続ける」「光に近づこうと 泳ぎ続ける」と泳ぎだします。泳いでいるのは狭いプールということはなく、おそらく海でしょう。

   海のイメージのない京都に海が現れるということは、異常気象か何かで世界の都市の多くは海に沈んでしまったのかもしれません。

   水上都市と化した京都。古い神社や寺院が水面に映ってきらめいている。

   なんだか神秘的で、やっぱり不思議な感じがします。


   ところで、サビの歌詞は、水没以外にも気になるところがあります。

「夢じゃない」の歌詞との対比です。


「初夏の日」も「夢じゃない」もどちらも「温度」「力」「泳ぐ」というキーワードが似ています。

   まず「夢じゃない」から。

暖かい場所を探し泳いでた 最後の離島で」
いびつな力で守りたい どこまでも」


   次に「初夏の日」です。

「でも君がくれた力 心にふりかけて
   ぬるま湯の外まで 泳ぎ続ける


「夢じゃない」では、僕がいびつな力を持っていて、暖かい場所を探して泳いでいた(過去形)と言っています。

   一方「初夏の日」では君が力を持っていて、その力で僕はぬるま湯の外に脱出するために泳ぎ続けいている(現在進行形)と言っています。


   歌詞が全部真逆なのが面白いです。

   どちらが良いとか悪いとかではなくて、20年以上の時間が流れて、歌詞がぐるっと1周しているように見えるのが興味深いと思ったのでした。


   歌が時間を越えていろんなものとつながっているのも京都の魔力なのかもしれません。

   ……と、なんでもかんでも不思議な方向につなげたくなる、そんな「初夏の日」なのでした。


KYOTO

   余談ですが、京都の歌といえばジュディマリの「KYOTO」です。

   僕はいま40代なのでジュディマリがどんぴしゃの世代でした。

   この曲ってシングルではなくアルバム曲なのでそこまでメジャーではないと思うのですが、わりと人気があったように思います。

「逢いに行くわ 汽車に乗って」という冒頭の歌詞がキャッチーで好きでした。


   自分のなかの(勝手な)京都のイメージがモダンでおしゃれなのはこの歌の影響かなと思っています。


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