「まがった僕のしっぽ」はスピッツの16thアルバム「見っけ」の10曲目に収録されています。
一粒で二度美味しい
この歌は「見っけ」のアルバムが発売されたとき、かなり話題になりました。
歌は大きく2つのパートに分かれます。
一つ目は最初と最後に流れるゆっくりなテンポの渋いパート。二つ目はテンポが速く激しい中盤のパートです。
2つのパートで雰囲気がガラッと変わるので一粒で二度美味しい構成になっています。
話題になったのは二つ目のパートです。
スピッツらしからぬ、いえスピッツファンが待ちわびていた、スピッツの荒々しい部分を超絶体現したハードなサウンドと歌詞に、当時全国のファンが雄叫びを上げました。(たぶん)
また、この2つのパートをつなげる部分、すなわち前半から中盤のパートに切り替わる瞬間がスリリングです。
ドラムがガンガン鳴って、下から地面ごと持ち上げられたようにテンション上がりまくりで、たまんねーのです。
最初に聴いたときからライブでの演奏が楽しみでした。
ケモノ耳と旅
最初のゆっくりめのパートはこの歌の物語部分を成しています。
「大陸のすみっこにある街」「すべて初めて」「巣穴失った僕」「風の歌」「旅することで」「うち捨てられた船」「今岸を離れていく」
などの歌詞からは、故郷を追われて放浪する旅人の姿が浮かびます。
おそらく、社会の荒波を生きていくことなり、人生の岐路に立つことなりの隠喩だと思われますが、そのまま架空の大陸を舞台にした冒険ファンタジーの一節のように読んでも楽しいです。
僕はいつも狐の耳をフードで隠した獣人の少年が砂漠の町で旅支度をしている様子をイメージしながら聴いています。(勝手に頭の中に湧いてくる)
怪しい商人だったり、悪い魔法使いが出てくるような世界観のやつです。で、仲間をみつけて、船に乗り新しい未知の大陸に向かうのです。
なんで主人公が狐耳の少年なのかはよくわかりません。むかし読んだ漫画にそんなのがあったのかな。思い出せませんが。
荒ぶって刺さって
次に、二つ目のパート。
音も激しいですし、草野さんもめちゃめちゃ荒ぶってます。
歌詞がなかなか手厳しい、というか、どの言葉も耳に痛い。胸に刺さります。
例えば……、
「波が荒くても この先を知りたいのさ」
→(自分)荒波が来たら、陸に戻りたい
「例えどんな形でも 想像しなかった色でも」
→(自分)予想外のことは起きてほしくないし受け止められない
「誤解で飛び交う石に 砕かれるかもしれないけど」
→(自分)石の当たらないところで丸くなっていたい
草野さんの荒ぶる魂に心が丸裸にされたあと、むき出しになった心に言葉の矢がグサグサ刺さってきます。うわー。
……変化を拒んで安定に逃げているのがバレバレですね。
まあそんな軟弱な自分にカツを入れるために草野さんはこの歌を作ってくれたのかもしれません。(違う)
マシュマロ??
ところで、歌詞に出てくるマシュマロがちょっと気になりました。
「勝ち上がるためだけに マシュマロ我慢するような
……そんなヤツにはなりたくない」
じゃあどんなときならマシュマロを我慢していいんだろう、と思いません?
好きなものを捨てて苦しんでまで勝ち上がっても意味がないということなのか、それとも誰かを蹴り落として勝ち上がるのではなくて、甘いマシュマロを分かち合うように仲良く楽しく上がっていこうということなのか。
マシュマロくらい我慢してもいいんじゃないかなー。むしろ、どんだけマシュマロに人生を預けてるんだろう。とちょっと思ったのでした。
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