コーヒーのなかの日常 〜スピッツ「スカーレット」感想

「スカーレット」はスピッツの8thアルバム「フェイクファー」の11曲目に収録されています。

スピッツ「フェイクファー」

「スピッツで一番好きな曲は?」と聞かれたら(ここ数年そんな質問されたこともないですが)、いちおう「チェリー」と答えるようにしています。

   メジャーですし、スピッツのいいところがいっぱい詰まっていますし。

   ただ、完成度の高さという点では「チェリー」よりも「スカーレット」に軍配が上がるように思います。


スカーレットの完成度の高さ

   何を持って完成度が高いとするのかは難しいですし、そもそも演奏技術的なものは全然わからないので、ある意味いい加減な評ではあるのですが、自分が感じているところを箇条書きしてみます。

  • 演奏時間が3分半と短く、無駄を徹底的に省いている
  • 短いなかにもサビ、Aメロ、間奏がドラマチックに展開している
  • イントロと間奏でスピッツ(三輪さん)の代名詞ともいえるアルペジオが堪能できる
  • 短いイントロの後にいきなり始まるサビのフレーズ「離さない」が力強く印象に残る
  • 草野さんの非日常的な言語感と日常的な描写とのバランスが絶妙

   個人的に、スピッツの歌の良さはその短さにあると思っているので、特に3分半にまとまっているところはポイントが高いです。

   ようは自分の好きな要素がいっぱい詰まっているわけですね。

   次に「スカーレット」を4つのパートに分けて見ていきます。


コーヒーの渦

   草野さんの書く詩は脳内宇宙を見せられているようなわけわからなさ(?)が魅力なのですが「スカーレット」では宇宙的なものとごく普通の日常とが絶妙に混ざり合っています。


   特に最初のAメロ。

「乱れ飛ぶ声にかき消されて コーヒーの渦に溶けそうでも
   ゆらめく陽炎の向こうから 君が手を伸ばしたら」


   僕はいつも「コーヒーの渦」から渦巻銀河を連想してしまいます。

   渦巻いている銀河(コーヒー)のなかに都会の雑踏や駅の喧騒、テレビのキャスターの声なんかが吸い込まれていっている絵です。

   その絵は、たくさんのノイズのなかで僕らが日々を過ごしていることを表している。

   そして同じ絵の反対側の隅には、ぼやけた少女の姿があって、そんなノイズの向こうから僕を救い出そうと手を差し伸べている。


   これ、頭の中ではすごくイメージができているのですが、言葉だけだと伝わらないですよね……絵が描ければなぁ。

   日常と非日常の境に立っているようで、このAメロのフレーズはすごく好きです。   


ほこりにまみれた世界

   2回目のサビは切ないけどポッとあたたかくなります。

「離さない 優しく抱きしめるだけで
   何もかも忘れていられるよ
   ほこりまみれの街で」


   十代の頃は寂しくて人恋しかったので、この歌詞に憧れました。

   好きな人を抱きしめるということは、ほこりまみれの街(=ネガティブな世界)のなかにいたとしても、嫌なことを全て消し去って別の世界にシフトできるほど素晴らしいことなのか!と。(※女の子とつきあったことがなかった)


   ミスチルの「youthful days」のなかにも似たような世界観で「歪んだ景色に取り囲まれても 君を抱いたら不安は姿を消すんだ」という歌詞が出てきます。これも好きです。

   こういうネガティブな「世界」とそれを打ち消してくれる「君」という構図にものすごく惹かれました。

   新海誠は初期から観ています、はい。


夢見ていた崩れ落ちそうな言葉

   自分の恋愛観のキモに突き刺さったのが上記の2回目のサビだとしたら、人生観というか自分の感性の一番敏感な部分(なんだそれ)に触れてくるのが2回目のAメロです。

「誰にも言えずに夢見ていた くずれ落ちそうな言葉さえ
   ありのまますべてぶつけても君は微笑むかなあ」


   この歌詞を聴くたびに胸の奥のさらに奥にある透明な泉がゆらゆらと震えます。

   誰もが心のなかに、こういう脆くて大切な部分を持っているのではないでしょうか。

   二十歳前後のころは、この歌詞に何度慰められたことか!

   当時は、誰にも言えずに夢見ていたものや、崩れ落ちそうな何かがあったのです。今はその残滓をぼんやりと感じるのみですが。


   また、「君は微笑むかなあ」と歌いながら間奏に突入する展開もエグいです。(褒めてる)


スカーレット

   最初と最後に出てくるサビは他の歌詞に比べると第一印象は薄めでした。

「ひとつだけ小さな赤い灯を守り続けていくよ」ってかっこいいけど凡庸だなと。


   でもあるとき「スカーレット」が緋色のことを指すと知って、印象が変わりました。

(ちなみにスカーレットは最初はロビンソンのようにあまり意味のないカタカナのタイトルだと思ってました。適当な人名とか)


   緋色を意味する「スカーレット」のサビに出てくる「赤い灯」こそ、この歌のメインテーマだったんですね。(シングルジャケットがめっちゃ赤色な時点で気づけよって感じですが)

   とすると、もっと深くこのサビを聴きこみ、呑み込まなければなりません。


   20年くらい「スカーレット」を聴き続けて思ったのは「小さな赤い灯」は何を指しているのだろうということです。

   それは「時が流れても」「守り続けていく」ものであり、「寒がりな二人をあたため」る「無邪気な熱」だという。

「二人を暖める灯火」というとベタな表現ですが、落ち着いて考えてみると、それって何だろう?何が当てはまるだろう?と首を傾げてしまいます。


   特に、「喜び 悲しみ 心歪めても」と歌っているのが重要なように思います。

   悲しみだけでなく、喜びも心を歪めるのです。

   僕らは誤りやすい。

   悲しみに屈折するだけでなく、喜びに惑わされることもある。

   そんないろいろなものに囲まれながら僕らは生きている。

   間違わないように。間違ってもまた戻ってこられるように。

   その拠り所としての「赤い灯」なのだとしたら。


「スカーレット」では「赤い灯」はすでに与えられているものとして歌われています。

   でも20年前の僕にとっては、それはまだ手にしていない、探している途中のものだった気がします。

   ……今もたぶん。


* * *

   スピッツの歌を聴くとき僕はいつもここではないどこか(歌ウサギで否定されちゃってますが)を夢想します。

   一方「スカーレット」はどちらかというとリアルに近い「ここ」を歌っていています。

  

   学生時代、「ここ」になんていたくなかったのに「スカーレット」を何度も繰り返し聴いていました。


   もしかしたら僕は「スカーレット」を通して日常と非日常を行き来していたのかもしれません。

   コーヒーの渦。

   微笑み。

   赤い灯。

   夢見ていたもの。

   ゆらめく陽炎。

    伸ばした君の手。


コメント