花をおいていく日 〜スピッツ「花と虫」感想

「花と虫」はスピッツの16thアルバム「見っけ」の5曲目に収録されています。
   アルバムが発売されてから3ヶ月が経ちますが、そのあいだに一番よく聴いた曲かもしれません。
   爽やかな流れのなかにも、ひんやりとした気配が感じられ、心がピリッとします。
スピッツ 見っけ

1. 青

   きらびやかなイントロ、抑え気味のAメロ、じわじわと上がるサビ、どれもいいです。
   草野さんの声がいつもよりも濡れた感じがするのも好きです。
   地味なタイトル(?)に反して、メロディと歌詞と声で心をがっしり掴んできます。

   個人的に何度聞いても胸が熱くなるのが、サビの歌詞です。
   最初に聴いたときからここにやられました。

「終わりのない青さが 僕を小さくしていく
   罪で濡れた瞳や 隠していた傷さえも
   新しい朝に怯えた」

   まず「終わりのない青さ」という言葉がいい。そしてそれが「僕を小さくしていく」わけですから、どこまでも広がる青空に心が吸い込まれていくさまが想像できます。
   いろいろなしがらみを捨てて、まだ見ぬ世界へと旅に出たくなります。

2. 朝

   そして「新しい朝に怯えた」という最後の歌詞にグッときます。
   朝に怯えるという行為に、若さや懐かしさを感じるのは僕だけでしょうか?

   朝学校に行きたくない、とか、会社に行きたくないとか、そういうだるい感じではありません。
  夜のあいだに身の内に宿った全能感が夜明けとともに抜けていく感じだったり。友と語り合った熱い夢が、朝日とともに魔法のように消えていく感じだったり。
   空が白んでくるころ、何者でもない自分に戻ることに怯え、夜がずっと続けばいいのにと願った朝が何度もあった気がします。
   まあそんなときはだいたい酔っ払っていたわけですが。

   もちろんここで書かれている「朝に怯えた」はそういうものとは違うのでしょうけれど、それでも朝を希望や未来というベタな肯定ではなく、怯えや恐れというネガなものとしてとらえることに、どうしようもなく共感してしまいます。

   旅立ちには期待と不安がつきまとう。当たり前といえば当たり前ですが。
   そのアンバランスな感覚を思い起こして、なんだか心が震えるのでした。

3. 花

   さて、この歌の中で気になっているところがあります。
   それはこの歌のタイトルにもなっている「花」についてです。

   スピッツの歌の中に 「花」がどれだけ出てくるかわかりませんが、僕の中のイメージでは草野さんの描く「花」は常に自分よりも上にあるものとして描かれている気がします。
「変わらず夏の花のままでいて」(サンシャイン)
「花は美しく トゲも美しく 根っこも美しいはずさ」(魔法のコトバ)
   などです。

   しかし「花と虫」のなかでは、「花」は高みにあるものでも、追いかけるものでもなく、逆においていかれるものとして描かれています。
「いつしか大切な花のことまで 忘れてしまったんだ」
「『花はどうしてる?』つぶやいて噛みしめる 幼い日の記憶を払いのけて」
   などです。
「花」をおいて旅立っていくということに、今までのスピッツにないものを感じてしまいました。

   さらに「生まれ故郷のジャングルは 冷えた砂漠に呑まれそう」「罪」「傷」「砂利の音にこごえて」といった歌詞も出てきます。これらからは戦禍や環境破壊といった不穏ななものを連想していしまいます。

「花と虫」は歌の雰囲気こそ澄んでいるのですが、今まで以上に「君と僕だけの世界」から遠く離れていっている気がします。
   ただ、それを前面に押し出さずに、あくまで「僕の歌」として歌っているところが草野さんらしいといえばらしいです。
   それでも何かに侵食されずにはいられないという事実に、なんだか(ほんのちょっと)怖いものを感じるのでした。

   いつまでも花(=君)の周りをうろうろと飛び回って悩んでいたい。
   それが平和でいいのになぁ。
   そんなことを思いました。