映画のような夜明け ~スピッツ「Y」感想

「Y」はスピッツの6thアルバム「ハチミツ」の9曲目に収録されています。

   アルバムの曲順では「ロビンソン」の次にくるので、「ロビンソン」を聴いた流れでよく聴いていました。
   イントロなしで歌がふっと入ってくるので、景色が消えて闇に包まれたようになります。
   歌詞も暗めです。
「小さな声で僕を呼ぶ闇へと」「静かで長い夜」「すべてが消えそうな」など。

   なんとなくですが、中央だけ光が当たっている真っ暗な舞台のうえで、男女二人の役者が長い人生の一部を切り出した演劇をしている様子が浮かびます。
   劇のなかでは、いままさに彼らは分岐点に立っていて、闇の中に残るか、闇の向こうへと進むか、意見をぶつけあっている。

   暗い闇と、そこから抜け出そうとする二人ーー「Y」にはそんな小さな世界を歌っているイメージがあります。

   一方、Aメロの後に展開されるサビは少しだけ軽くなり明るい。
「やがて きみは鳥になる」「だけど夢は続く」「舞い降りる夜明けまで」など。
   鳥になり旅立つのが「僕」ではなく「君」というのが、初期の草野さんらしいです。

   ちょっと気になってちょっと好きな歌詞が最後の「舞い降りる 夜明けまで」です。
「夜明け」を擬人化して「夜明けが舞い降りる」と言っているのか、それとも「夜明けが訪れるころ君が舞い降りる」と言っているのか。前者だとしたら表現が綺麗ですし、後者だとしたら、君は夜の闇のなかを鳥になり飛んで行っているということになります。
   夜明けを待って旅立つのではなくて、夜の闇を駆け抜けて夜明けを目指す、というのがすごくいい。
   夜の空を飛ぶ感覚はどんななのだろう、と想像するとぞくぞくします。怖いけど、それ以上の刺激がありそう。
   歌のラストを夜明けで〆るのもいいですよね。映画みたい。希望があります。

   最初に演劇の舞台みたい、とも書きましたが、「Y」は演劇や短編映画のようなイメージがあります。映画の予告編みたいな断片的な映像がよく浮かびます。なんでかな。

   ところでタイトルの「Y」ってどういう意味なんでしょう。
「君」のイニシャル?
   それとも鳥の名前?ヨダカとか。
   漠然とですが、僕は「夜(Yoru)」や「闇(Yami)」のYを連想してました。

   そういえば何かで「Y」は三叉路のイメージ、というようなことを読んだことがあります。
   君と二人で歩いてきたこれまでの道と、それぞれが分かれて進むこれからの道と。
   そう考えると、ちょっと切ないですね。
   これからはアルファベットの「Y」をただの記号として見れなくなってしまう……