金魚だったころの話あるいは、 ~スピッツ「コメット」感想

「コメット」はスピッツの15thアルバム「醒めない」の4曲目に収録されています。
スピッツ「醒めない」

   最初聴いたとき、イントロのキーボードの音が綺麗で、「おや、おしゃれな歌」と耳に止まりました。
   歌に入ってからも、他のスピッツの歌にはない大人っぽさ、都会的な洗練された感があり、「醒めない」のなかでは好きな曲の一つです。

   タイトル名はずっと外国の女性の名前だと思っていたのですが、調べてみると金魚の品種のことでした。
   歌の中に「黄色い金魚のままでいられたけど 恋するついでに人になった」という印象的な歌詞が出てきますが、これがまさに「コメット」の由来だったんですね。

   金魚が人になる、という発想がすごく好きです。恋をしてロッケンローラを目指すのでもなくヒーローになるのでもなく、恋をしてようやく人並みになるというのが、恋にネガティブな自分の性格に合っています。
   きっとこの歌を二十歳前後の片思いのときに聴いていたら、この歌詞だけでどっぷりと浸りこんでいたのではないかと思います。そして金魚だった自分の恋を300%くらい美化していたに違いない。
  しかし 残念(?)なことに聴いたのが結婚後だったので、青春を預けるほどにハマることはありませんでした。

   その代わり、室生犀星の「蜜のあわれ」という小説を知った後だったので、金魚が少女になるイメージが浮かびます。
   その小説には老作家のもとに遊びにやってくるおきゃんな娘が登場します。どういう理屈かはよくわからないんですが、その娘は金魚なんですね。自分のことを「あたい」と言い老作家を「おじさま」と呼び、ときにおてんばでときにコケティッシュでもあり、男心をくすぐる魅力をそなえています。
   そんな愛らしい娘のイメージが、「コメット」に出てくる金魚と重なってしまうのでした。

   自分が金魚なのか娘が金魚なのか。あるいは僕はおきゃんな金魚に恋をしているのか。
   どちらにしても「コメット」を聴くと、瀟洒なメロディとファンタジーめいた言葉が混ざりあい、心地よい不思議な感覚が広がります。

   また、自分の想像する「コメット」の世界では雨が降っています。
   雨といっても、べとべとと不快なものではなくて、春先のさらさらとした雨。静かで心地よいやつ。……雨に関わる歌詞は特に出てこないんですけどね。不思議です。
   キーボードの澄んだ音が雨音を感じさせるのかもしれません。金魚鉢に雨のしずくが落ちて波紋が広がるイメージとか。

   金魚のことばかり話しましたが、サビの歌詞も好きです。いや、むしろそこをこそ語るべきだったかも。
「『ありがとう』って言うから 心が砕けて 新しい言葉探してる」
「『さよなら』ってやだね 終わらなきゃいいのに 優しいものから離れてく」
ーー切なくてやわらかい何かが耳から体の奥へと広がり、「むかし僕は金魚だったんだ」と遠い古い記憶をふと思い出したような気持ちになります。