鳥と海と明日のこと、あと奇跡とか ~スピッツ「群青」感想

「群青」はスピッツの12thアルバム「さざなみCD」の3曲目に収録されています。
「魔法のコトバ」「ルキンフォー」と続くさざなみシングル3部作の最後に発売されました。

   軽快なサウンド、癖のないまっすぐなメロディ、難しいこと抜きのシンプルな歌詞。聴くと気持ちが軽くなり心が踊り出します。
   とってもライブ向けの曲だと思うのですが、僕はさざなみCDのツアーのときに聴いたっきりで、それから一度も聴いたことがないです。もっとライブで活躍してもいいと思うんですけどね。ちょっと不遇な曲です。

鳥を追いかけて裸足で駆け出すのはありなのか!?

「群青」のなかで特に好きな歌詞は、海と鳥が出てくるところです。
「どれほど遠いのか知らんけど 今すぐ海を見たいのだ」
「鳥を追いかけて裸足で駆け出す」

   どちらも、今この瞬間の感情や衝動に身を任せて動いている(あるいは動き出そうとしている)ところが、ライブ感・躍動感があって好きです。

   ただ「歌ウサギ」に出てくる「『何かを探して何処かへ行こう』とかそんなどうでもいい歌ではなく」という歌詞を聴いて以来、「鳥を追いかけ」ることや「今すぐ海を見たい」と思うことが、本当に大事なことなのか少し疑問に思うようになりました。
   ここでいう「鳥」や「海」って、「何か」や「何処か」を象徴しているようにも聞こえます。
   もしそうだとしたら、「群青」はどうでもいい歌になりはしないでしょうか?

   で、先日、マラソンを走りながら考えていたんです。「何かを探して何処かへ行こう」のどこがまずいんだろうって。
   自分の出した答えは、そこに感情を揺さぶるような衝動や力がないことがいけないんじゃないかということです。
   一方の「群青」はめちゃめちゃ衝動に身を任せている。海までどれだけ遠いのかも知らずに海を目指すわけです。海に何があるのか、何が待っているのか。鳥を追いかけてどうなるのか。いやどうにもならないだろうことくらい、きっとわかっている。
  それでも衝動のままに走り出す。裸足で、すっぽんぽんで、ふる●んで。おっと、ちょっと脱ぎすぎましたね。

「鳥」や「海」はきっと「何か」や「何処か」でしかないんだろうけど、そこに向かって身体が動き出す力が「群青」にはある。それが大事なんじゃないかと思いました。
   そういえば、MVでは草野さん、珍しく踊ってましたしね。ほら、衝動のまま体が動き出してる!

いつだって明日や未来は好きじゃない

   それから「明日や未来」のことです。今思えば、僕はいつだって明日や未来といった希望を含んだ言葉が嫌いでした。だってそんなものは無いって悲観してたから。
   だから、この歌に出てくる「明日とか未来のことを好きになりたいな 少しでも」という歌詞は、逆説的に「明日や未来は好きじゃない」と言っているようで、ああ僕と同じだなって思えてちょっと嬉しかった。

   とはいえ「好きになりたい」と言っているので、共感したと思った矢先に突き放されちゃうわけですが。

   それにしても、明日や未来のことをどうすれば好きになれるんでしょう。
   思えば、衝動に駆られて海を見に行ったり鳥を追いかけたりすることだって、普段通りだったら案外難しいことですよね。

優しかったときを取り戻す

   ヒントになるのが、「優しかったときの心取り戻せ 嘘つきと呼ばれていいから」という歌詞です。
   僕はこの歌詞をずっと勘違いしていて、「なんで優しくなろうとしているのに嘘つき呼ばわりされるんだろう?」と首をかしげていたのですが、ほんとは「今の着飾っている自分しか知らない周りの人たちに言わせたら、本当の自分に戻ることは嘘つきと言われるかもしれないけど、そんなのかまわないさ」と言っているのではないでしょうか。
「優しかったとき」というのは、素直だったころとか子供のころとかそういうことだと思います。

   そうだとすると、今ある衝動に身を任せたり明日を好きなるためのヒントがここにある気がします。

僕がここにいる奇跡

「僕はここにいる すでにもう(それだけで)奇跡」という歌詞が出てきます。
   言葉にしたらあまりにベタな「僕はここにいる」という歌詞。
   だけど、心が向かうまま海まで来て、押し寄せる波や飛ぶ鳥を見ているときに、言葉としてではなく、皮膚を通して体がそう感じたのだとしたら。
    足の裏に伝わる砂の熱や、海風の気持ちよさや、繰り返す波の音。今この瞬間を凝縮したものとしての「僕はここにいる」というリアルな感覚。ーーそこにはありふれた歌詞以上の確かな力があります。

この感想はどこへ行くのか

   海を見に行くこと、鳥を追いかけること、明日や未来を好きになること、そして僕がここにいること……「群青」は、過去から現在につながる「私」という存在を肯定したうえで未来へと開かれた歌であり、なによりも今この瞬間の感情や衝動こそが大事なんだと訴えている歌である。そう感じました。

   と、わざと大仰に語ってみましたが、とどのつまり、今この瞬間を踊ろうよっていう、ただそれだけのことだと思うんですよね。駆け出してもいいですが。

   そんなわけで、「群青」の躍動感が好きです。わくわくします。