「運命の人」はスピッツの8thアルバム「フェイクファー」の4曲目に収録されています。
なんとなくこんな光景が浮かびます。
日曜日のデート帰りに、バスに揺られて窓越しに夕焼けを見ながらぼおっと立っていたら、「あ、やべ、人生の意味わかっちゃった」って気付いてしまう。外は夕焼けで真っ赤だし、バスはがたがた揺れてもの悲しいし。「ああ、人生って意味ないじゃん」って達観して落胆する。
だけど隣りでは、遊び疲れて眠たそうな彼女があくびをしている。その呑気な姿を見ていたら、人生の意味とか宇宙の真理とか大きな事なんてどうでもよくなってきて、「まあいいか。この子がいれば」と、思わず彼女の手を強く握り返す。彼女は「ん?」ってちょっと不思議そうな顔をするんだけど、そ知らぬふりして窓の外を眺め続ける。
夕暮れが町も人も建物も何もかも平等に飲みこんで、世界は茜から群青色へと変わっていく。バスは同じ調子でがたがた揺れていて、目的のバス停まではもう少し。二人の手は握ったまま。
初めて「運命の人」を聴いたころは10代後半でまだ彼女もいなかったので、漠然とそんな何かに思いを馳せていましたが、実際にずっとそうだと信じ続けられる「運命の人」に出会えたりするものなのでしょうか。(え?自分の妻ですか?そそそそれはもちろん、ええ、あれです、ええ!!汗)
もし運命の人がいたとしてもそれはきっとロマンチックな奇跡などではなくて、ほんの少しのグッドタイミングと二人のたくさんの努力の成果である気がします。
んー、30代も終わりに近づくと、どうしても考え方が現実的になってしまいますね。いやだいやだ。もっとボーイミーツガールなものがいいんだけどな。
まずシングルver.があり、アルバムver.があり、そしてライブver.がある。
シングルver.からアルバムver.ではキーが1つ下がっており、ただのリミックス以上の変化があります。キー以外では、シングルver.はキラキラと賑やかな仕上がりなのに対して、アルバムVer.はもう少し骨太で地に足の着いた仕上がりになっています。
自分はフェイクファーに収録されているアルバムver.をずっと聴いていたので、アルバムver.の方が良いと思っていましたが、最近、シングルコレクションを聴くようになってからは、シングルver.もいいなぁと思うようになりました。賑やかで、遊園地で遊びまわっているような痛快さがあります。
ライブver.は、草野さんのアコギから始まるのが特徴です。アコギの音を中心に持ってきていますが、それでアコースティックな落ち着いた雰囲気に変わったかというとそうではなくて、むしろ、エフェクトがそぎ落とされて、ギターやドラム、ベースが際立ち、ライブ向けの仕様になっています。
また今回の3050ツアーver.では、最後のサビへとつながるCメロ「このまま 君となら」のアレンジが更に変わっていて、上昇感が200%増し(!?)で、ぞくぞくしました。
ライブver.もいつかセルフカバーしてアルバムに収録してほしいです。
とはいえ、これが最終形態とは限らないので、まだまだこれからも進化して、さらに新しくて素晴らしいバージョンが待っているかもしれません。
| スピッツを好きになって初めてTVで観た歌
これはもうかなり個人的な思い入れの話になるのですが、僕がスピッツを好きだと気づいてから(何だか恋バナが始まりそうな言い方ですが)、初めて発表されたシングルが「運命の人」でした。そのせいか、「運命の人」はちょっとだけ特別な感じがあります。
当時、音楽番組(HEY!3かMステ)でスピッツが新曲を歌うと知り、期待に胸を膨らませてオンエアーを待ち、ブラウン管にかじりついて、草野さんが歌う姿を見ました。
前向きで素直な歌詞、明るく爽やかなメロディと、力強いギターサウンド。スピッツといえばネガティブで難解という印象しかなかった当時の僕には、ブラウン管の向こうに新しいスピッツを感じてワクワクし、「運命の人」はすぐに好きになりました。
| バスと人生と運命の人
「運命の人」の歌詞はこれまでのスピッツ(インディゴ地平線以前)にないわかりやすいフレーズや、明日が輝きそうな前向きな歌詞でできています。
「走る 遥か この地球の果てまで」「アイニージュー(アルファベットじゃなくてカタカナ!)」「自力で見つけよう 神様」「晴れて望み通り投げたボールが 向こう岸に届いた」などです。どれも、聴いてすぐに良いと感じました。
そんななかでも特に好きなのは冒頭のバスの部分です。
「バスの揺れ方で人生の意味がわかった日曜日
でもさ君は運命の人だから強く手を握るよ」
細かい話ですが、「人生の意味がわかった日曜日」と、「君は運命の人だから……」とを、順接ではなく「でもさ」と逆接でつなぐところが面白い。興味深いです。
「運命の人」という普通なら肯定的な意味の言葉に対して「でもさ」と言っているのだから、きっと理解した人生の意味はあまり良いものではなかったのではないでしょうか。人生には意味がないと悟ったのかもしれないし、人生の意味の中に”君”は含まれていなかったのかもしれない。
それでも”君”の手を強く握るのだから、人生の意味がなんであれ、”君”を運命の人と信じてやっていこうとする強さ、あるいは「どうとでもなるさ」という楽天的な心持ちが感じられます。
日曜日のデート帰りに、バスに揺られて窓越しに夕焼けを見ながらぼおっと立っていたら、「あ、やべ、人生の意味わかっちゃった」って気付いてしまう。外は夕焼けで真っ赤だし、バスはがたがた揺れてもの悲しいし。「ああ、人生って意味ないじゃん」って達観して落胆する。
だけど隣りでは、遊び疲れて眠たそうな彼女があくびをしている。その呑気な姿を見ていたら、人生の意味とか宇宙の真理とか大きな事なんてどうでもよくなってきて、「まあいいか。この子がいれば」と、思わず彼女の手を強く握り返す。彼女は「ん?」ってちょっと不思議そうな顔をするんだけど、そ知らぬふりして窓の外を眺め続ける。
夕暮れが町も人も建物も何もかも平等に飲みこんで、世界は茜から群青色へと変わっていく。バスは同じ調子でがたがた揺れていて、目的のバス停まではもう少し。二人の手は握ったまま。
| 結婚と運命の人
そういえば、結婚相手って、運命の人なんですかね?初めて「運命の人」を聴いたころは10代後半でまだ彼女もいなかったので、漠然とそんな何かに思いを馳せていましたが、実際にずっとそうだと信じ続けられる「運命の人」に出会えたりするものなのでしょうか。(え?自分の妻ですか?そそそそれはもちろん、ええ、あれです、ええ!!汗)
もし運命の人がいたとしてもそれはきっとロマンチックな奇跡などではなくて、ほんの少しのグッドタイミングと二人のたくさんの努力の成果である気がします。
んー、30代も終わりに近づくと、どうしても考え方が現実的になってしまいますね。いやだいやだ。もっとボーイミーツガールなものがいいんだけどな。
| 「運命の人」の3つのバージョン
「運命の人」はバージョンがいくつもあります。まずシングルver.があり、アルバムver.があり、そしてライブver.がある。
シングルver.からアルバムver.ではキーが1つ下がっており、ただのリミックス以上の変化があります。キー以外では、シングルver.はキラキラと賑やかな仕上がりなのに対して、アルバムVer.はもう少し骨太で地に足の着いた仕上がりになっています。
自分はフェイクファーに収録されているアルバムver.をずっと聴いていたので、アルバムver.の方が良いと思っていましたが、最近、シングルコレクションを聴くようになってからは、シングルver.もいいなぁと思うようになりました。賑やかで、遊園地で遊びまわっているような痛快さがあります。
ライブver.は、草野さんのアコギから始まるのが特徴です。アコギの音を中心に持ってきていますが、それでアコースティックな落ち着いた雰囲気に変わったかというとそうではなくて、むしろ、エフェクトがそぎ落とされて、ギターやドラム、ベースが際立ち、ライブ向けの仕様になっています。
また今回の3050ツアーver.では、最後のサビへとつながるCメロ「このまま 君となら」のアレンジが更に変わっていて、上昇感が200%増し(!?)で、ぞくぞくしました。
ライブver.もいつかセルフカバーしてアルバムに収録してほしいです。
とはいえ、これが最終形態とは限らないので、まだまだこれからも進化して、さらに新しくて素晴らしいバージョンが待っているかもしれません。