海の底はあたたかいのか ~スピッツ「雪風」感想

「雪風」はスピッツの15thアルバム「醒めない」の13曲目に収録されています。

「雪風」はダウンロード限定のシングル曲としても発売されました。
   おそらく初めて聴いた人は、シングル曲にしては演奏時間も短く、あまりにあっさりと終わるので物足りなく感じるのではないかと思います。しかし、何度も聴いていると、その短い時間のなかに、物語がギュッと凝縮されていて、大きな世界が広がっていることがわかります。

喪失と再生

「雪風」が歌うのは喪失とそこからの再生だと思います。ただし、喪失感が先行し圧倒します。
   短い歌なので初めは何も感じなかったのですが、繰り返し聴くたびに、悲しく胸が苦しくなりました。切ないや寂しいではなくて、悲しい。これは他のスピッツの歌にはあまりない感情です。(例えば「楓」は自分にとっては、悲しいではなくて切ない)

エイになって泳ぐ

   歌を聴いて、真っ先に引っかかったのは、「また今日も巻き戻しの海を エイになって泳ぐ」の「海」と「エイ」です。タイトルの「雪風」や冒頭の「まばゆい白い世界」から、どこまでも続く真っ白な雪原を想像したのに、いきなり「エイ」なんて言われると、世界観がわからなくなってしまいます。
   ただ、しばらく聴いて、海の底をエイがゆったりと泳いでいる姿を想像するうちに、陸上に冷たい雪風が吹いていても、海の中はあたたかいのかなと思うようになりました。
   寒い陸から飛び込んだ海の底は、あたたかい過去の記憶と結びついているのかもしれない。そう考えると、「また今日も巻き戻しの海を エイになって泳ぐ」という歌詞もしっくりきます。
   そして、とても悲しい気持ちになる。記憶が眠る場所が、魚にまで戻って泳がないとたどりけない場所だなんて、あまりに遠すぎる。その後に続く「じゃれあってぶつかって大わらい」や「割れた欠片と同じものを遠い街まで探しに行ったね」といった歌詞が幸せそうなだけに、余計に喪失感が強くなり、聴いているととても辛くなります。

現実と離れたとこ

   2題目の歌詞はさらに喪失感と不安を掻き立てます。
「現実と離れたとこにいて こんなふうに触れ合えることもある もう会えないって 嘆かないでね」ーーなぜかこの歌詞は何度も聴いているうちに、歌われている相手がこの世界から消えていなくなってしまっているような感覚にとらわれるようになりました。直接的な死の描写はないのに、恐くて体が震えてしまい「大丈夫大丈夫、(君は)きっと生きているから」って言い聞かせるようにして、歌を聴くこともありました。
   どうしてこんなに怖いのかよくわからないけれど、聴いていると自分まで何かを失いそうで(あるいはすでに失ってしまったようで)、とても不安になります。例えば、むかしの村上春樹の小説にあるような、主人公と親しい誰かが突然主人公の前から消えてしまう、あの感覚。

君は生きてく

   更にいろいろ考えを巡らせていると、歌の中に「君」が一回しか出てこないことも気になってきます。
   その一回は「君は生きてく 壊れそうでも 愚かな言葉を誇れるように」という部分なのですが、この「君」は本当に主人公の大切な人を指しているのか。本当は自分自身のことや、あるいはこの歌を聴いている私たちのことを指しているんじゃないかと思えてきます。
   そうだとすると、やっぱり歌われている相手はこの世界からすでにいなくなってしまっているのではないか。大切な人を失った人に向けて、メッセージをこめて「君は生きてく」と歌っているようにも聞こえてきます。

   普段はあまりスピッツの歌から「死」を感じたりはしないのですが、「雪風」については、なぜかある時期からこんな風に死や喪失感を強く感じるようになってしまいました。
   歌詞もメロディも綺麗でとても好きな曲なんですが、ときどき無性に胸が苦しくなります。

まだ歌っていけるかい?

   だから、最後のAメロでかすかな光と希望を与えてくれるのは救いです。
「涙が乾いてパリパリの 冷たい光受け立ち上がれ まだ歌っていけるかい?」ーー喪失だけではなく、再生へと続く物語を示して、歌は閉じます。
「歌っていけるかい?」と問いかけてはいますが、たぶんこれは問いではなくて確認にすぎず、結論は決まっているように思います。
   僕たちは生きていて、これからも生きていかないといけないわけで。歌い続ける以外の選択肢はきっとない。
「壊れそうでも 愚かな言葉を 誇れるように」ーーもう少しがんばってみようか、そう思いました。


海の底のエイを想う

   夜眠る前にベッドのなかで目を閉じて、深い海の底を泳ぐエイの姿を想像したことがあります。
   僕は薄暗い海のなかを降りていって、砂の上を這うように泳ぐエイと目を合わせます。静かにエイと対面していると、自分のなかにもあたたかい何かが巡っていることを感じることができ、ほんの少し満たされ、それから悲しくなります。そこはもう過ぎ去った場所で、自分がいる場所ではないとわかってしまうから。
   それはまあ「雪風」とはたぶん全然関係のない話なのですけれど。