スピッツ「夜を駆ける」感想

   10thアルバム「三日月ロック」の1曲目に収録されています。

「夜を駆ける」のイントロがステレオから流れ出たとき「三日月ロック」は名盤になると確信しました。鋭く突き刺さるようなピアノ(キーボード?)の音に撃たれて、背中にぞくぞくっと寒気のような歓喜が走ったのを覚えています。かかかかっこいいーー!!
   ライブではこのイントロを聴いた瞬間に、ぃやったー!って高揚して、駆け出したい衝動にかられます。ただ、どうノッていいのかわからず、いつも戸惑ってしまいます。
   もっともっと飛び跳ねて踊りたいのに、うまくできない!それがちょっと悔しいです。

   歌は退廃的で刹那的です。金網を飛び越えるし、冷たいコンクリートに転がるし、稲妻は走るし。夜空を見上げたり、細い糸でつながったり、誰もいない市街地で遊んだり。おまけに銃で(?)撃たれそうになったりします。

  また、 Aメロのメロディとリズムがしびれます。飴玉を細い糸でつないで冷たい床の上に落して弾ませたように、クールで官能的です。そしてAメロからサビへの展開もスリリングでかっこいい。

* * *
「夜を駆ける」を聴くたびに、2つのイメージがいつも湧きます。

   1つは、檻の外に抜け出して遊ぶ子供です。
   夜の街が、普段とは別の顔を持っていて、昼間とは別の非日常の世界にまだ属していたころの感覚。「早く寝なさい」と親に言われておとなしく布団に入っていた子供が、少し大きくなって冒険心に目覚め、ベランダからこっそり抜け出して友達と示し合わせて、夜の闇のなかに紛れていく。夜のにおいや肌ざわりが新鮮で少し怖くて、わくわくさせてくれていたころを思い出します。
   ブルーハーツの「1000のバイオリン」にも似たようなイメージがあります。

   もう1つは、吸血鬼です。
   むかし読んだ藤子不二雄の短編集にあった話なのですが、世界各地で吸血鬼が現れて、噛まれた人が吸血鬼になっていく。徐々に吸血鬼の数が増えていき、主人公の男の子も最初は抵抗して戦うのだけれど、ついに噛まれて吸血鬼になってしまう。
   吸血鬼になっても別に死ぬわけではなく、新しい生命が始まり、世界の相貌が変化する。吸血鬼になると、夜は白く輝いて見えるんですね。生まれたばかりの吸血鬼(主人公)は、その新しい夜の世界の美しさに、はしゃいで駆けていく。
   吸血鬼の眼から見た妖しい夜の美しさが、この歌の持つ終末めいた雰囲気と重なります。

   結局、2つのイメージとも根底にあるものは同じなのですが、夜という非日常に落ちていく感覚。新しい滅びに向かって駆けていく感覚。--それがたまらなく好きです。

「夜を駆ける」を聴くたびにここから抜け出して、遠くの灯りの方へ駆け出したくなります。だけど、その灯りがどの方角にあるのかもわからないまま、時間だけが過ぎてしまいました。