歌は歌詞かメロディか、あるいは「ロビンソン」を漠然とずっと勘違いしていた話。
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いつだったか、草野さんがパーソナリティを務めるラジオ番組「ロック大陸漫遊記」のなかで「スピッツっぽいバンド」特集がありました。
草野さんが独断でスピッツぽいバンド(あるいはスピッツがそのバンドっぽいもの)を選んで紹介していて、その全てが洋楽でした。
そのときは特になんとも思わなかったのですが、あとで考えてみたら、英語の歌詞のバンドがスピッツっぽいというのも妙な話です。
なぜなら普段自分はスピッツの歌の大部分は草野さんの変な歌詞が占めていると思っているからです。
もちろん4人のバンドサウンドや草野さんの作るメロディや歌声がなければ「スピッツ」と言えないのですが、それでも歌詞の占める割合は大きい。
それにも関わらず歌詞のわからない洋楽バンドが「スピッツっぽいバンド」と言われるとなんだか普段の自分が持っていたイメージと違うなぁと思ってしまいます。
草野さんのなかで歌詞が歌に占める比重はそれほど大きくないことがうかがえます。
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草野さんは自分の歌詞のことをあまり語りたがりません。
ただロック大陸漫遊記の何かの回で「歌詞はポエム(詩)ではなくてメロディやリズムとセットで成り立つもの」と話していました。
またあるテレビ番組のなかで「歌を歌いたかったのではなくてバンドをやりたかった」と話していたこともあります。
草野さんのなかではバンドで音を出して歌うことが「歌」なのであって、歌詞はそのごくごく一部にすぎないのかもしれないですね。
そうしていろいろな話を合わせていくと、やっぱり歌は歌詞とメロディなのかなと思います。
ただ、それは、歌詞が音を奏でることもあればメロディが語りだすこともあるような相互に干渉しあうものだと思うのです。
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そんな歌詞とメロディに関わることですが、僕はごく最近までスピッツの「ロビンソン」について勘違いしていたことがあります。
なにかというと、僕はこの歌の主人公は「誰も触れない二人だけの国なんてありはしないし、あったとしてもそれは宇宙の風になんて乗れやしない」とわかっていながら、半ば自嘲気味にああいうことを言っているものだとばかり思っていました。
なので僕の耳に入る「ルララ〜」はいつも悲壮感たっぷりに響いてました。
でもよく考えると、いえ考えてみなくてもわかるのですが、そんなことは歌の中のどこにも書いてないですよね。
誰も二人だけの国を否定なんてしてません。
どうしてずっとそんなふうに思い込んでいたんだろう。
個人的な事情としては、十代の頃、全く女子と縁がなく恋愛に超ネガティブだったので、「二人だけの国なんてあるわけないだろ。ばーかばーか」と思っていたというのはある。(小学生か)
それは置いておいて、純粋に歌にだけ耳を傾けてみると、イントロのアルペジオの響きや、間奏やサビのメジャーセブンやマイナーコードの使われ方が、ちょっと悲しいイメージを思い起こさせているように思います。
あのイントロのアルペジオを聴くとどうしても切なくなるし、ルララのメジャーセブンコードは綺麗で儚いし。
二人だけの国でバラ色~♪宇宙の風に乗ってんふふふ〜♪という気分にはなれません。
哀愁を帯びたメロディやサウンドに引っ張られて、「二人だけの国はないし宇宙の風にも乗れない」と感じていたのかなーと。
実際、そこまで極端ではなくても、ロビンソンのメロディはともすればメルヘンチックな歌詞をちょっぴりクールな印象に変えてくれます。
歌詞から読み取れるものとメロディから読み取れるものはそれぞれ別な気がします。
わかりづらい例えですが、羽海野チカさんの漫画(ハチクロ、3月のライオン)のなかでモノローグが縦書きと横書きで同時に描かれているシーンに似ている。
歌詞とメロディが同時に違うことを話しかけてくる、みたいな。
そんなわけで、ロビンソンをずっと漠然と20年以上も勘違いしてたなーというのと、歌詞とメロディはどっちも重要だし、同時に違うことを話し出すこともある(かもしれない)よ、というお話でした。
ところで、僕以外にも「二人だけの国なんてない」と歌っていると思ってた人っているのかな。
……よほど(恋愛的に)暗い学生時代を送ってない限りそんな人はいないですよねぇ。
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