先週金曜日、徳永英明の2021年コンサートツアーが中止になりました。
知ったときはかなり大きなショックを受けました。
徳永さんのツアーは去年も中止になっていました。
でも今年は去年と違って事前に準備も覚悟もできるし十中八九いけるだろうと踏んでいました。そのためこんなに早く延期ではなく中止が決まるなるなんて思ってもみませんでした。
中止の理由は「今年の夏から秋にかけて変異株(デルタ株)への置き換え等により、コロナ感染症の収束が見通せないこと」です。
しかもこの日はスピッツのアリーナツアー「NEW MIKKE」の初日だったんですよね。
「NEW MIKKE」は大阪・名古屋といった都会でしか開催されないため、コロナリスクを避けて僕はグッと堪えてチケットを申し込みませんでした。
行けると思っていた徳永さんのライブが中止になった日に、自分が行かないと決めたスピッツのツアーが再開され、Twitterのタイムラインには喜びのツイートで溢れている……なんだろう、このもやもやした気持ち。
最初はツイートに「いいね」をしていたのですが、どんどん辛くなってきてTwitterを見るのをやめてしまいました。
* *
チケットを申し込まなかった時点で、スピッツのツアーが始まってライブ関連のツイートが流れ出したら、妬む気持ちが生まれるだろうことは予想していました。
ただ、徳永さんのライブが秋に決まったあとは、それを励みにがんばろうと思っていたんですよね。
それがまさか頼みの綱の徳永さんのライブが中止になり、スピッツのライブだけが再開しようとは……悲しいやら妬ましいやら、悔しいやら羨ましいやら。
なんとも言えない嫌な気持ち。何かを憎んだり恨みたくなる感覚。
は〜、コロナほんと嫌だ。ほんとだったら去年はスピッツと徳永英明のライブを観に行っていたはずなのに。
いや、コロナでもっと大変な人たちがいることはわかってます。
それでも僕は、自分はライブに行けなくて他の誰かがライブに行って楽しんでるいというただそれだけのことが心に引っかかるのです。ただそれだけのことが黒い霧にのように心に広がるのです。
そして何かを憎みたくなる。
そんな自分の心の狭さにも嫌気が差します。
* * *
こんなどうしようもなくもやもやした気分のときはヘッセの「盗まれたトランク」というエッセイを思い出します。
だいぶ前に読んだので詳細は忘れてしまいましたが、第二次世界大戦のさなかにヘッセが大切なトランクを盗まれて、世界は戦争で大変だと言うのに、しかし自分にとってはトランクが盗まれたことがどうしようもなく大事なことなのだ、というような内容だったと思います。
戦争中でも些細なことに人の心はとらわれて揺れ動く。それのどこが悪いことがあろうか、と。
「盗まれたトランク」のことを思い出すと、些細なことで嫌な気持ちになっているときに、詩人に共感してもらえた気がします。
他に思い出す、というかよく口ずさむのはスピッツの「流れ星」の歌詞です。
「誰かを憎んだことも 何かに怯えたことも 全部かすんじゃうくらいの 静かな夜に浮かんでいたい」というところです。
この歌詞を口ずさむと、心に巣食うやもやが少しだけ引いてくれます。
なにもない静かな夜に浮かんでいたい。
何も憎まず何も恨まず穏やかな気持ちでいたい。
そう思います。
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