メッセージソングはこうでなくちゃ 〜スピッツ「紫の夜を越えて」感想

 「紫の夜を越えて」はコロナ禍の2021年に発売されました。

   発売時期やタイトル名から、スピッツ流のメッセージソングということがわかります。


説教臭さのないメッセージ

   僕が考える良いメッセージソングの条件は「説教臭くあってはいけない」です。

   メッセージソングはうっかりすると上から目線になりがちです。

   どんなに良いことを言っていたとしても説教臭いと、ついつい反抗してしまいたくなるんですよね。ふん、何言ってやがるって。

   なので、メッセージソングはどうやって説教臭さを消臭できるかがポイントになります。


「紫の夜を越えて」はそれを実にうまくクリアしています。

   ポイントは冒頭の歌詞です。


君が話していた美しい惑星は
   この頃僕もイメージできるのさ 本当にあるのかも」


   ここで出てくる「惑星」というのは遠くの星のことを言っているように聞こえますが、おそらく僕らが住んでいるこの地球そのものを指していると考えられます。

   その惑星の美しさについて僕ではなく君が話している。主体性は僕ではなくて君にあります。

    しかも遠くの空想ではなくて、今生きているこの世界を美しいと言っている。美しさを信じて語れるのは強さです。

   強くなくちゃ、汚れた世界に負けてしまいますから。


   この世界の美しさをみつけて信じて話すことのできる君は強い。

   そんな君が話す美しい惑星を僕も最近になってようやくイメージできるようになったと歌っている。

   ここには強い君に追いつく(普通の)僕という構図があります。


   普通の僕が強い君に向かって語りかけるとき、上から目線で説教をするということはないですよね。この時点で説教臭さが回避されています。

   そうするとサビの「紫の夜を越えていこう」という歌詞は僕が君を連れて行くのではなくて、一緒に手を取り合って、あるいは君に引っ張られていく、そんなイメージが浮かびます。

   先に行ってるから越えておいでよ、ではなくて、ともに越えて行こうよ。そんな感じ。


   いつもの草野さんの「君と僕」の関係といえばそれまでですが、僕が君を見上げている位置関係が、歌のなかのメッセージ性をやわらかくして寄り添うような味付けをしていています。言葉がすぅっと入ってきます。

   メッセージソングはこうでなくちゃ、と思います。


「惑星」がすごい、「届け」が熱い!

「紫の夜を越えて」のなかで、この冒頭の「惑星ネタ」は僕が「ほんとうまいなぁ」と感心しているポイントです。

   あちこちで伏線として機能しています。


   例えば、サビに出てくる「……いくつもの光の粒 僕らも小さなひとつずつ」

   突然自分たちを俯瞰したような歌詞ですが、冒頭に突飛な「惑星」という宇宙的な言葉が出てきているので、わりと自然に鳥や宇宙飛行士の視線になって「小さな光の粒」を想像することができます。


   他にもCメロの「あの惑星に届け」もそうです。

   ぶっちゃけ、Cメロはサビからの飛翔感があってかっこよければ整合性が取れてなくても何を言っていてもいいと思います。

   いきなり授業中に席を立って厨二病的に「惑星に届け!」と叫んだとしてもかっこよくてノリがよければOKです。

   ですが、この歌は違います。冒頭に「美しい惑星」について話したあとで「あの惑星に届け」と叫んでいます。

   この2回目というのが大きい。たった1回聞いただけなのに「あの惑星」が意味のある、何か尊い、とても大切なもののように感じられます。

   Cメロを聴くたびに「おっしゃー、俺の惑星に届けー!」とわけもわからず拳に力が入ります。

   故郷に還るために宇宙をサバイバルする「彼方のアストラ」の学生たちになった気分です。熱い!


   そんなわけで「美しい惑星」は「紫の夜を越えて」を名曲にしている影の立役者だと思うのですがどうでしょうか。


スピッツのヒストリーが結晶化したような

   面白いというか素敵なのは、歌詞のなかにこれまでのスピッツの歌のかけらが散らばっているところです。


「捨てたほうがいいと言われたメモリーズ」(メモリーズ)

「君が話してた美しい惑星は」(惑星のかけら)


   他にも曲名ではないですが、歌詞の中の単語を強引に拾い上げていくと、


「袖をはばたかせ」→「赤い服 ひらめいて」(ヘビーメロウ)

「少し動くのも恐れてた日々」→「ビギナーのまま動きつづけるよ」(ビギナー)

「いくつもの光の粒 僕らも小さなひとつずつ」→「小さなことが大きなになってくように」(僕のギター)


   まあそんなこと言っちゃうと、そもそも「夜を越えて」→「を駆ける」とかも言えちゃいそうですが。


   なんだかこれまでのスピッツの歴史の全てが結晶化しているような、様々な願いがこめられているようなそんな気がして、胸が熱くなるのでした。


朝一に、目を開いて

   最近は朝起きたときに「紫の夜を越えて」を聴いています。


   子供たちを起こして、寝室から追い出して、寝相の悪い子供たちが散らかした布団を整えてたたむときに「アレクサ、スピッツの『紫の夜を越えて』をかけて」と言って再生してます。

   再生時間が4分ちょっとなので布団をたたむ時間の目安にもなってちょうどいいんですよね。

「潤み始めた目を開いて〜 紫色の夜を越えて〜」と一番ボルテージの上がるラストの歌詞を聴き終わる頃には目も覚めて、布団もたたみ終わってます。


「紫の夜を越えて」はアップテンポだし、ちょうどいいポジティブさ加減だし、寝起きの動き出すタイミングで聴くのにぴったりです。


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