ヨルシカの1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」をだいぶ前に買ったまま感想を書かずじまいだったので、ここに感想を書きます。
ロックンロール
僕は3rd「盗作」、2nd「エルマ」と順に買って、最後に買ったのが1st「だから僕は……」でした。
ヨルシカを新しいアルバムから遡って聴いていることになります。
アルバム「だから僕は……」はピアノの音がエモくて、ギターもベースもきっちりロックしていて、アルバム全体から文学作品のような匂いが漂っていて、この後に続く2nd,3rdに見られる特徴がこの1stアルバムにも見ることができます。
しかしながら先に聴いた2nd,3rdと違うところもあり、僕が気になったのは2nd,3rdでは頻出した「言葉」という単語が1stではほとんど出てこないことでした。
2nd,3rdに見られた「言葉」というものに対するこだわりや執着が1stではほとんど鳴りを潜めています。
一方で1stにはこのあとの2作には(たぶん)出てこなかった「ロックンロール」という単語が姿を見せます。
「人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った」(8月、某、月明かり)
このアルバムまではロックンロールにまだ期待している部分があったのかもしれません。
そのあとロックというジャンルに対して失望してしまったのか。それとも自分にロックの才能がないことに気づき諦めてしまったのか。
そうしてロックを捨てて「言葉」への執着が生まれたのだとしたら、ロックや音楽では人は救われないのか、「言葉」は音楽の代わりになるのか、などいろいろ考えさせられてしまいます。
「だから僕は音楽を辞めた」から「藍二乗」へ
1,5,10,13曲目にあるインスト曲のタイトルの日付が番号が進むにつれて、8/31, 7/13, ……と過去になっていくので、アルバムの曲順と物語の時系列とは逆になっているようです。
ラストが表題曲の「だから僕は音楽を辞めた」なので、そこから遡って主人公は音楽を辞めて異国を旅しているというイメージで僕は聴いています。
そうすると最も現在に近い2曲目の「藍二乗」の歌詞の意味が気になります。
「この詩はあと八十字
人生の価値は、終わり方だろうから」
「視界の藍も滲んだまま
遠く仰いだ空に花泳ぐ
この目覆う藍二乗」
これが最初ではなくて最後の歌だとしたら「え?この歌詞ってどうなんだろ。この先に待っているものは何?」って思いますよね。
1st「だから僕は音楽を辞めた」と2nd「エルマ」は対になっているそうです。
「エルマ」の最後の曲「ノーチラス」のMVのラストを見ると、「藍二乗」の答えが示されているような気がします。(違うかもしれないけど)
恋と創作と人生と
むかし奥井亜紀さんというシンガーソングライターが音楽雑誌の中で「ラブソングはただ恋愛を歌っているのではなくて、恋愛を通して人生を歌っている」と話されていました。(20年以上前の記事なのでうろ覚えですが)
それを読んでなるほどと思いました。だから僕たちは恋をしていないときでもラブソングを聴くのかと。そして巷にラブソングが溢れている理由もわかった気がします。
一方、ヨルシカの詩はあまりラブソングとは言えない。ラブの要素もあるにはあるけれど、どちらかというと芸術や創作そのものを題材にしているように思います。
僕らのような一般人は芸術の創作とは無縁です。それでもヨルシカの歌は心の琴線に触れ共感できるものが多いです。そこに描かれている痛みとか喜びとか苦しみとか。
きっと芸術を生み出すということは人生と重なるものが多いのでしょう。
上の奥井亜紀さんの言葉に当てはめなおすと「芸術を創作する過程を通して人生を歌っている」ということなのかもしれません。
ヨルシカはラブソング以外で(戦隊モノのテーマソングとかでもなくて)新しい歌のジャンルを切り開いている、と思うのですが、どうでしょうか?
おまけの話 i2
「六月は雨上がりの街を書く」という歌のなかに「今の暮らしはi2」という歌詞が出てきます。
なんだっけこれ、と学生時代の数学を思い出してみたら、虚数の計算だと気づきました。
この歌詞の次に「君が引かれてる0の下」という歌詞も出てくるので、たぶん ”i2= -1” で答えは"-1"です。
「今の暮らしはマイナス」あるいは「今の暮らしは一人減っている」と言っているのだと思うのですが、なかなか上手い言い方だなと。
2曲目の「藍二乗」と発音が同じ「アイニジョウ」というのも面白いです。
このあたりの言葉遊びのセンスの良さはほんとすごいですよね。
しかもさりげなくて嫌味じゃないのがまたいい。
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