「バニーガール」はスピッツの7thアルバム「インディゴ地平線」」の8曲目に収録されています。
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「バニーガール」は「チェリー」のシングル盤にカップリング曲としても収録されていました。そのため「チェリー」の発売当時は、有線やラジオでがんがん流れていました。
シングル曲のヒットに合わせてカップリング曲も有名になるというのは、あの当時ならではの現象のように思います。
今は「配信」がメインということもあり、カップリングという概念は昔よりも薄れてしまったように感じます。
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疾走感があってメロディも明るくてライブでは大いに盛り上がる曲なのですが、ただ明るいだけではありません。
歌を聴いていると光と闇の構図が見えてきます。
「君」は「寒そう」で「いじわるされて震えてい」るので、闇のほうの世界にいます。
一方の僕は、「灯りを消して一人泣いた」り「いいなぁいいなぁと人をうらやんで」いるので、やはり闇のほうにいる。
恋は普通に考えると光なのかもしれないけれど、「恋は……光のシャワーを闇に向けた」と言っているので、僕(や君)にとっては闇なのかもしれない。
さらに歌詞を拾っていくと「底のない谷」「世界中が口を歪める」「君と落ちてく」など、僕と君は光のなかに入れず世界から拒絶されている印象を受けます。
「光あふれる世界」とそこからはみ出した「君と僕」という構図は、十代の僕の心を絶えず引き付けました。
同じような光と闇の構図は、「きっとこんな世界じゃ探し物なんてみつからない」と歌う「僕の天使マリ」や「優しく抱きしめるだけで 何もかも忘れていられるよ ほこりまみれの街で」と歌う「スカーレット」のなかにも、見ていた気がします。(光と闇の関係が逆かもしれませんが)
才能のない、何もない人間にとっては、たとえ世界が光にあふれていようとも、そこには悪意や残酷さしか感じれません。
そんな残酷な世界からはじき出されながらも「バニーガール」の主人公は同じような境遇の「君」をみつけて、回り出した世界でいっしょに落ちていこうとする。
世界が僕らを拒んでも君がいれば……という感じは、セカイ系の先駆けといえなくもないですね。そんな世界観に卑屈な僕の心は魅了されたのでした。
まあ十代の僕にはいっしょに落ちていってくれる彼女なんていなかったですけども。
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ところでサビの最後の「ゴミ袋で受け止めて」という歌詞は、酔っぱらって朝目覚めたらゴミステーションに倒れててカラスに突っつかれていたというイメージがあって、よくわからないなりに何となく好きでした。
世界を相手にした逃避行のオチ、みたいな。
ただ、今になってみると、ちょっとセーフティネットっぽくもありますね。
「最後は何であれ何かが受け止めてくれるから好きに飛びなよ」っていう。
そう考えると、世界は案外優しいのかもしれません。
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