おじさんと埼玉と小さな冬の旅

   日曜日に、千葉のおじさんのお通夜があり、石川から埼玉まで日帰りで行ってきました。

   千葉なのか埼玉なのかややこしいですが、伯父さんは僕が生まれる前からずっと千葉に住んでいたので、子供の頃からずっと「千葉のおじさん」と呼んでいました。
   数年前に伯母さんの故郷の埼玉に引っ越して、晩年は埼玉で過ごされました。
有磯海
有磯海の石碑

   行きは両親の車に乗せてもらい、親父と交互に運転して、金沢から上越経由で埼玉に向かいました。
   途中、何度か高速のサービスエリアで休憩を取り、普段は来ることのないサービスエリアの景色を楽しんだので、ちょっとした旅路気分です。
有磯海SA

   この日はよく晴れていました。冬は天気の悪い北陸も晴れて空が青かったです。こんな日に旅立つなら悪くないと思える日でした。
有磯海の鐘

   おじさんは僕の母の一番目の兄にあたり、母はよくかわいがってもらったそうです。(ちなみに母は4番目の末っ子で、兄が3人いました)
名立谷浜SA

   伯父さんは若いころ新潟の大学を出て千葉の会社に就職しました。
   滅多に郷里に帰ってこない兄に母はよく手紙を書き、またよく手紙をもらったそうです。
東部湯の丸SA 展望台
山賊ニラだれ定食

   ジャンクションが変わるたびに、道路が広く大きくなり、都会が近づいていることがわかります。
   関越自動車に入ってから2台ほど衝突事故の車を見かけました。
かみさとSA

   8時に出発して、埼玉に着いたのは4時少し前でした。
   今夜両親が泊まる志木のホテルに車を止めて、礼服に着替え、葬儀センターに徒歩で向かいます。(ちょっと道に迷いました)
志木駅東口
志木駅東口

   式場に着くと伯母さんと埼玉の親戚に迎えられました。
   式は少人数の家族葬でした。
   棺に入った伯父さんはとても小さかった。
   胃がんでした。

   お通夜の最後の方で、お坊さんが「自分の身体と 自分の心と 自分の声とで」と話していたのが心に残りました。3つ目に「声」があることがとても大事なことに思えました。
川越 熊野神社

   短いお通夜のあと、通夜ぶるまいをいただき、伯母さんの親戚の方とビールを飲み交わしながら少しだけ話をしました。
   みなさん育ちは埼玉だそうですが、父親は石川県の七尾の出身だとのことでした。意外なところでつながっているものです。
川越

   おじさんが千葉に住まわれていた頃に一度だけ、母親に連れられてお家に遊びに行ったことがあります。
   何泊かさせてもらい、そのうちの一日、僕は家族と別行動で一人で秋葉原に出かけました。田舎の工業系の学生だった僕にとって、秋葉原は珍しいPCのパーツやオーディオ類が生で見られる聖地のようで、どうしても行きたかったのです。

   朝、知らない都会に出かける僕に、伯父さんはアドバイスをくれました。
「行くときに、来た道を振り返って見とくといい。それが帰り道の風景だから。そうすれば迷わずにすむ」
川越

   その思い出を通夜ぶるまいの席で伯母さんに話したら、伯母の姪にあたる人が「おじさんらしい」と言って微笑みました。
   伯父さんは僕の親戚のなかでは知的でとても賢い人だったと思います。自分の親父と比べていいなぁと思っていたところもあるかもしれません。

   翌日の告別式に参列する両親を残して、僕は19時半頃にお暇を告げました。大宮から金沢行きの終電に乗って帰るためです。

   しかし、乗り換えのために降りた川越で、繁華街をブラブラしていたら、大宮行の電車に乗り遅れてしまいました。
   仕方ないので、この日は大宮のカプセルホテルに泊まり、翌朝金沢に帰りました。
   こうして冬の日の小さな旅は終わったのです。
川越
   思えば、小さい頃に家族で旅行に出かけたことは何度もありましたが、自分が大人になってから、親父と運転を交代しながら遠出したことはありませんでした。
   たあいないことを話しながら、日本海を見て妙高山を見て太平洋側を目指すのは楽しかった。
   もしかしたら親とこんな風に旅をするのはこれが最初で最後かもしれません。
親不知

   今年僕は40歳になりました。
   伯父さんは胃がんで亡くなりました。
   お祖父さんもがんで亡くなりました。
   2年前に、自分と同じ歳に結婚した後輩が配偶者をがんで亡くしました。
   変わらないつもりでも、少しずつ肌に触れる空気の感触は変わっていきます。

「行くときに、来た道を振り返って見とくといい。それが帰り道の風景だから。そうすれば迷わずにすむ」
   遠い昔に伯父さんから聞いた言葉がときおり頭の奥でよみがえります。
   前だけを向いて生きるほど懸命でもなく、ふりかえって確かめるほど堅実でもなく僕は生きてきて、人生の折り返し地点を過ぎました。