「ああああああああああああああーーーー!!!!」
6月のある日、タブレットで「妖怪ウォッチぷにぷに」を遊んでいた長男が大きな叫び声をあげました。
何ごとかと思ったら、7月にあるイベントに向けて貯めていたポイント(?)を誤って10連ガチャに使って失ってしまったのです。
毎日こつこつログインして貯めていたらしく、今からだと7月のイベントに間に合わないとかなんとか。
だからお金でポイントを買ってくれと頼んできました。
泣いて叫んでうるさいので「しばらく、おやつや小さなおもちゃを我慢するならいいか」と思って値段を見てみたら、なんと10連ガチャ分のポイントは3800円もするじゃないですか!高っ!!
しかもこれって買ったら必ず、ほしいキャラが当たるわけじゃなくて、くじを引ける権利が与えられるというだけなんですよね?(ゲームしないからあまり詳しくない)
ありえないので却下しました。
「これからは選択肢でクリックするときはもっと慎重になるように」と厳重に注意し「今回はいい経験をしたと思って我慢しなさい」と話してあきらめてもらうことにしました。
その日は「俺ってバカだ」とつぶやき続けて長男はずっと沈み込んでいましたが、この先もっと大きな失敗をすることも出てくるでしょうから、これを機に大事な選択のときは慎重に行動することを覚えてくれらたらな、と。
それにしてもガチャの値段、高すぎませんか?
これをしなければゲームができないわけでもないですし、必ずほしいキャラが当たるわけでもない。そして一回やれば終わりでもなくて、欲しいキャラが追加されるたびに何度もしたくなるし。
そんなくじ引きをするために1回ごとに数千円のお金を払うのはどうなんだろうと思ってしまいます。
4000円にプラスαを出せば、ウルトラマンや仮面ライダーの変身アイテムが買えますし、スイッチのゲームだって買えます。
お金の感覚がおかしくなりそうです。
正直、子供の教育には良くないと思います。
一方で、僕は楽しんだ分に対してはきちんと対価を払うべきだとも考えます。
遊んで楽しかったら、それに見合ったお金はを払うべきだと。まあ安いにこしたことはないですが。
どんなものでも作るのにはお金がかかります。タダということはない。
あなたがいまゲームをして楽しむことができるのは、誰かが働いてゲームを作って、そのゲームを遊ぶためのシステムがあるからで、その全てにお金がかかっている。
お金を払うというのはゲームを作った人に対する感謝の気持ちでもある。
ということを教えたい。
自分の場合で言うと、気に入った音楽や文学に対しては、CDや本を新品で買ってお金を払うようにしています。全部が全部だとお金が足りないので、中古やレンタルもしますが。基本的にはクリエイターにお金が入るようにすることを常に意識しています。
子供のころからタダのものに慣れすぎると、なんでもタダでできて当たり前でお金を払うことは割が合わない、という考えになりそうで怖いです。
お金を払うこと自体は悪いことではないですから。
誰かががんばって物を作っているということを忘れないでほしいです。
と考えたとき、高いガチャ以外にお金を払う手段のないソシャゲは非常に困る。
ガチャにお金を使うことは許しません、と言う一方で、楽しんだ分のお金は払いましょうと言う。矛盾してますよね。んー、弱った。
そんなわけで、ソシャゲは課金してもしなくても子供の教育によくないなと思ったのでした。
ほんとだったら、最初のステージは無料で、しばらく進んだらステージの追加にお金を払う(500円くらい?)、あるいはお金を払えばガチャじゃなくても欲しいキャラクタが買える(300円くらい?)というのがいいのですが、それだとゲームメーカは赤字なんですかね?
なお「課金する」は本来は「自分が相手に支払いを課す」ということで意味が逆みたいです。そういえばそうかも。
6月のある日、タブレットで「妖怪ウォッチぷにぷに」を遊んでいた長男が大きな叫び声をあげました。
何ごとかと思ったら、7月にあるイベントに向けて貯めていたポイント(?)を誤って10連ガチャに使って失ってしまったのです。
毎日こつこつログインして貯めていたらしく、今からだと7月のイベントに間に合わないとかなんとか。
だからお金でポイントを買ってくれと頼んできました。
泣いて叫んでうるさいので「しばらく、おやつや小さなおもちゃを我慢するならいいか」と思って値段を見てみたら、なんと10連ガチャ分のポイントは3800円もするじゃないですか!高っ!!
しかもこれって買ったら必ず、ほしいキャラが当たるわけじゃなくて、くじを引ける権利が与えられるというだけなんですよね?(ゲームしないからあまり詳しくない)
ありえないので却下しました。
「これからは選択肢でクリックするときはもっと慎重になるように」と厳重に注意し「今回はいい経験をしたと思って我慢しなさい」と話してあきらめてもらうことにしました。
その日は「俺ってバカだ」とつぶやき続けて長男はずっと沈み込んでいましたが、この先もっと大きな失敗をすることも出てくるでしょうから、これを機に大事な選択のときは慎重に行動することを覚えてくれらたらな、と。
それにしてもガチャの値段、高すぎませんか?
これをしなければゲームができないわけでもないですし、必ずほしいキャラが当たるわけでもない。そして一回やれば終わりでもなくて、欲しいキャラが追加されるたびに何度もしたくなるし。
そんなくじ引きをするために1回ごとに数千円のお金を払うのはどうなんだろうと思ってしまいます。
4000円にプラスαを出せば、ウルトラマンや仮面ライダーの変身アイテムが買えますし、スイッチのゲームだって買えます。
お金の感覚がおかしくなりそうです。
正直、子供の教育には良くないと思います。
一方で、僕は楽しんだ分に対してはきちんと対価を払うべきだとも考えます。
遊んで楽しかったら、それに見合ったお金はを払うべきだと。まあ安いにこしたことはないですが。
どんなものでも作るのにはお金がかかります。タダということはない。
あなたがいまゲームをして楽しむことができるのは、誰かが働いてゲームを作って、そのゲームを遊ぶためのシステムがあるからで、その全てにお金がかかっている。
お金を払うというのはゲームを作った人に対する感謝の気持ちでもある。
ということを教えたい。
自分の場合で言うと、気に入った音楽や文学に対しては、CDや本を新品で買ってお金を払うようにしています。全部が全部だとお金が足りないので、中古やレンタルもしますが。基本的にはクリエイターにお金が入るようにすることを常に意識しています。
子供のころからタダのものに慣れすぎると、なんでもタダでできて当たり前でお金を払うことは割が合わない、という考えになりそうで怖いです。
お金を払うこと自体は悪いことではないですから。
誰かががんばって物を作っているということを忘れないでほしいです。
と考えたとき、高いガチャ以外にお金を払う手段のないソシャゲは非常に困る。
ガチャにお金を使うことは許しません、と言う一方で、楽しんだ分のお金は払いましょうと言う。矛盾してますよね。んー、弱った。
そんなわけで、ソシャゲは課金してもしなくても子供の教育によくないなと思ったのでした。
ほんとだったら、最初のステージは無料で、しばらく進んだらステージの追加にお金を払う(500円くらい?)、あるいはお金を払えばガチャじゃなくても欲しいキャラクタが買える(300円くらい?)というのがいいのですが、それだとゲームメーカは赤字なんですかね?
なお「課金する」は本来は「自分が相手に支払いを課す」ということで意味が逆みたいです。そういえばそうかも。