雨の夜に光射す朝を ~スピッツ「さらさら」感想

「さらさら」はスピッツの14thアルバム「小さな生き物」の6曲目に収録されています。

   最初にタイトルを聴いたときは春の小川がさらさらと流れている様子を想像したのですが、タイトルの由来になっているのはどうやら「雨の音」のようです。
   歌の内容も春の爽やかさとは真逆で、’00年代の「ホタル」を彷彿とさせるマイナーロックです。
   歌詞もメロディも音もよく、スピッツが奏でるギターロックの1つの到達点なのではないかと勝手に思いこんでいるくらい、そして、個人的なスピッツランキングの上位10以内には必ず入ってきそうなくらい、大好きな曲です。まだ一回もライブでは聴けてないのがちょっと切ないですが。
   ということでそんな「さらさら」をいくつかのキーワードに沿って語ってみます。

   まずは歌全体に漂う「緊張感」です。
   歌はマイナー調のアルペジオから始まるのですが、最初のギターの音を聞いた瞬間に空気の質が一変します。空気の僅かな震えさえも見逃してはいけないような緊張感が漂い出します。睾丸が上にキュッと縮こまるような緊張感(わからりづらい)。その感覚が好きです。

   次に「静謐さ」です。
   バンドの音は激しく鋭いのに歌のイメージは正反対に「静謐」なものがあります。
   静寂に包まれた部屋にいて、時間がおそろしくゆっくりと流れているような感覚。
「雨の音だけが部屋を埋めていく」という歌詞が、激しさに静かさを加えているのかもしれません。
   静と動が、歌詞と音とで交差して混ざりあっている。独特な感覚です。

   三番目に「文学的」です。
   先ほどの「雨の音だけが……」もそうですが、短い歌詞のなかに文学の匂いがあります。
   他には「君の指先の冷たさを想う」「永遠なんてないから」「遠く知らない街から手紙が届くような」などです。
   特に手紙のくだりが好きです。

「私があなたとつきあったら、あなたは私に何をくれるの?」とかわいい女の子に聞かれたら「ときめきをあげるよ。遠く知らない街から手紙が届くような」と返してみたい。
   そんなシチュエーションが長い人生の中に一度はあってもいいと思うんですよね。
   村上春樹の小説に出てきそうな会話ではありますが。

   最後に「隠喩」です。
   Cメロすごくないですか?
   サビからCメロへの入り方がスリリングなのもゾクゾクしますが、なによりも歌詞が圧倒的です。

   長いので前半だけ引用します。
   「ゴリゴリ力でつぶされそうで/身体を水に作り変えていく/魚の君を泳がせ湖へ湖へ」
   まず「ゴリゴリ」がすごい。ゴリラみたいでかっこ悪い字面ですが、躊躇なくゴリゴリすることで、外からの圧力の桁違いの凄さがストレートに伝わってきます。

   それからキーワードとしてあげた「隠喩」の部分です。
   水に作り変わるとはどういうことか、なぜ君は魚なのか、湖とは何を指しているのか、などとても気になりますが、そこは人それぞれの解釈に任せるとします。
   僕が一番興味を引かれたのは、身体の変化に言及しているところです。
   外圧から「君」を逃がすために「強くなる」とか「君を守る」とかあいまいな言葉で濁すのではなくて、具体的に身体を変化させているところがリアルで好きです。その一方で「水」の僕と「魚」の君という対比が幻想小説のようでもある。
   身体的な部分と精神的なイメージとがうまくからまりあっていて、この水・魚の部分は草野さんの詩の最高峰と思います。

   あと、単純にゴツゴツとしたメロディがかっこいい。

* * *
   ネットでレビューを読んでると、これは不倫の歌だという意見が散見されました。
   たしかに「眠りにつくまでそばにいてほしい」と言った後に「見てない時は自由でいい」なんて言われると、夜のベッドのなかと昼の家の外とでは二人の関係は別のもののように、つまり不倫のように聞こえます。
   でもそうなのかな。
   僕は、雨の降る夜の部屋から光射す朝を待っている、ただそれだけの歌のように思います。
   いつだって僕らは夜の部屋にいて、朝を待っている。
   雨、夜、朝、光、そして君と僕。
   これらはどうしようもなく僕らの世界を形づくっている。
   大人になって家族を持っても、それはずっと変わらない気がします。