あたたかい物語。誰にも教えずにこっそり聴いていたい ~スピッツ「テクテク」感想

「テクテク」は「春の歌」シングル盤ののカップリング曲として世に出たのち、スペシャルアルバム第3弾「おるたな」の10曲目に収録されました。

   僕はソラトビデオに収録されていたPVで初めて「テクテク」を聴きました。(当時はMVという呼び方はありませんでした)
   オレンジのモンスター君と町娘との出会いと別れを描いたアニメーションに、不覚にも感極まってうるうると涙目になってしまいました。音楽も映像もショートストーリーもどれも素晴らしいです。
   ただ、PVだとリピートして聴くには不便だったので(今と違って昔はスマホでYouTube、というわけにはいかなかった)、その後「おるたな」に収録されてCDで聴けるようになったときはほんと嬉しかったです。


   先日あったラジオ番組「うたことば」の中で「スピッツの歌は背中をそっと押してくれる」という話がありましたが、「テクテク」は最もその印象に近い歌だと思います。
   草野さんのアカペラから始まり、リズムにはドラムではなくジャンベ(アフリカ太鼓)が用いられ、バックにはアコーディオンが加わります。いつもと違う楽器編成があたたかい空気を作り出しています。

   大袈裟に盛り上げたりしない優しいメロディ。高音を抑えたやわらかな中音域のボーカル。シンプルで率直な歌詞。--歌全体で心をそっと包みこんでくれるようで、聴いていると切ないけどあたたかい気持ちにさせてくれます。

   それにしても、歌詞がすごくいいですよね。珠玉です。
   ストーリは切ないですが、「ほら後ろ向きでも前に進めるよ」ということを物語を通して伝えてくれる、そんなさりげない優しさがあります。

   歌詞は簡単な言葉で綴られていて、裏を読んだり、隠れた何かを探したりする必要のないストレートなものです。だけど言葉の選び方とか組み合わせとかで他にない独特の世界観を作り出しています。
   例えば冒頭の歌詞です。「当たりまえと思ってたら壊れてく 風を受けて水面が揺れた」
   後半の歌詞が前半の歌詞の暗喩になっている。不安定で移ろいやすい水面の表情と、当たり前が壊れていく過程。わかりやすくきれいな対比です。そしてこれだけで胸が締め付けられます。
   他には「かけらだって構わない」とか「ひとつの言葉からいくつもの声を聞き」とか「同じこと二度と無い 悲しいけど 寂しいけど」とか。どれもシチュエーションや細かい解釈は人によって異なるかもしれないけれど、恋をしたときに何度も感じたことのあるものなのではないでしょうか。

   特に好きなのが最後の歌詞です。ここが「テクテク」のコアだと思います。
「ふりむきつつ 僕は歩いてく 雨の中を 日差しの中を 闇の中を 思い出の中を」
   まず、「ふりむかずに」ではなくて「ふりむきつつ」というのがいいですよね。後ろ向きだけど前に向かっていく感じが好きです。
   それから「~中を」の4連チャンです。
   普通こういう歌詞って、ネガ/ポジ/ネガ/ポジって交互に来ると思うんですけど、ネガ(雨)/ポジ(日差し)/ネガ(闇)/ネガ(思い出)と構成比がネガ75%:ポジ25%になっています。無理にポジティブにしてバランスを取ろうとしないところに、草野さんの思いやこだわりがある気がします。
   あるいは、思い出にひたることは決してネガティブで後ろ向きなことじゃないというメッセージが込められているのかもしれません。
   またこの部分のメロディと草野さんの歌声がやわらかいんです。歌詞だけじゃわからない優しさがにじみでています。

   楽器良し、旋律良し、歌詞良しで、「テクテク」を聴くといつも心が震えます。切なくてあたたかくて、心の奥底のやわらかい部分を撫ぜられる思いです。

「猫になりたい」がスピッツを知らない人に教えたくなる隠れた(?)名曲だとしたら、「テクテク」は誰にも教えずにこっそり一人で聴いていたい名曲だと思います。埋もれたままにしておきたい。
   と言いつつ、最近家の中でぼそぼそとよく歌っているので、「それなんて曲?」って聞かれて妻に知られちゃいましたが。
   まあ名曲は隠せませんよね。