地元金沢には三文豪と呼ばれる人たちがいます。泉鏡花、室生犀星、徳田秋声です。
このうちの秋声だけはややマイナーで、今ではあまり読まれていないようです。ほとんどの作品が絶版で、本屋に行っても見かけず、入手困難です。
この状況を危惧して(?)、金沢の「徳田秋声記念館」が徳田秋声のオリジナル文庫を発刊しました。そんな「徳田秋声記念館文庫」の一冊として再刊されたのが表題にある「爛」です。
他にも何作か出版されており、金沢の「徳田秋声記念館」に行くと、手に入ります。
作家は読まれてなんぼですから、こういう取り組み(=文庫の再刊)は良いですよね。記念館なんていうただ立派な箱を造ることなんかよりもよほど価値があると思います。(ちなみに、徳田秋声記念館は浅野川のほとりにあり、なかなか素敵な空間です。)
記念館のオリジナル文庫という活動は全国的に広がればよいと思います。北陸の文人でいうと、水上勉の「金閣寺」とかも再刊されると嬉しいなぁ。
で、二年前のG.W.に記念館に行って買ったのがこちら↓。
ぼこぼこした白色の表面に活字で「爛」とのみ書かれたシンプルな表紙です。2年前に買って、ようやく今年の夏から読み始めました。
徳田秋声は正直、地味で、退屈です。たぶん学生のころは読めなかったと思います。結婚して子供が生まれて、生活というものが肩に重くのしかかり、足に重くからみつくようになって、初めて面白いと思うようになりました。作品のなかに漂っている生活感とか、疲労感とか、だるい感じがいいです。
「爛」は、遊女上がりのお増と、浮気者(女に見境がない?)の浅井という男女のお話です。
浅井には実はお柳という妻がいて、前半はお柳から隠れるように家を変えて転々とするお増の生活が描かれ、中盤以降は、お柳と別れた浅井といっしょになったお増の生活が描かれます。それでお増が幸せになれたかというとそうでもなく。
お増には、家で預かっている若い娘(お今)がいて、後半ではどうやら浅井がお今にちょっかいを出しいているようです。そして、そのお今を追いかけて田舎から出てきた室(むろ)という青年も現れて。
と書くと、どろどろとした恋愛話のようにも聞こえますが、日々の描写が淡々としていて、あまり浮いた感じはないです。
話に大きな波もないので何が面白いのかと言われると、答えるのが難しいのですが、毎日少しずつ読んでいくと、明治から大正の東京で、お増というやや疲れた女性とともに人生を歩んでいるような不思議な感覚になります。頁を開くとき、今日はお増は何をしているんだろう?みたいな。
リアルな描写で庶民の生活を切り取っていて、人生ってこんなもんか、という気がしてきます。そこが魅力なのかな……よくわかりませんが。
一気に読むものでもないので、僕は毎日一節ずつ読んでいました。全部で60節あるので、2カ月です。実際には読まない日もあったので、夏に読み始めて3カ月ほどかかりましたが。
毎日の仕事や生活に疲れた気分と、作品のなかに漂っている雰囲気とがよく合っていて、気だるい夜に読むのにぴったり。良い読書体験でした。
このうちの秋声だけはややマイナーで、今ではあまり読まれていないようです。ほとんどの作品が絶版で、本屋に行っても見かけず、入手困難です。
この状況を危惧して(?)、金沢の「徳田秋声記念館」が徳田秋声のオリジナル文庫を発刊しました。そんな「徳田秋声記念館文庫」の一冊として再刊されたのが表題にある「爛」です。
他にも何作か出版されており、金沢の「徳田秋声記念館」に行くと、手に入ります。
作家は読まれてなんぼですから、こういう取り組み(=文庫の再刊)は良いですよね。記念館なんていうただ立派な箱を造ることなんかよりもよほど価値があると思います。(ちなみに、徳田秋声記念館は浅野川のほとりにあり、なかなか素敵な空間です。)
記念館のオリジナル文庫という活動は全国的に広がればよいと思います。北陸の文人でいうと、水上勉の「金閣寺」とかも再刊されると嬉しいなぁ。
で、二年前のG.W.に記念館に行って買ったのがこちら↓。
ぼこぼこした白色の表面に活字で「爛」とのみ書かれたシンプルな表紙です。2年前に買って、ようやく今年の夏から読み始めました。
徳田秋声「爛」 |
徳田秋声は正直、地味で、退屈です。たぶん学生のころは読めなかったと思います。結婚して子供が生まれて、生活というものが肩に重くのしかかり、足に重くからみつくようになって、初めて面白いと思うようになりました。作品のなかに漂っている生活感とか、疲労感とか、だるい感じがいいです。
「爛」は、遊女上がりのお増と、浮気者(女に見境がない?)の浅井という男女のお話です。
浅井には実はお柳という妻がいて、前半はお柳から隠れるように家を変えて転々とするお増の生活が描かれ、中盤以降は、お柳と別れた浅井といっしょになったお増の生活が描かれます。それでお増が幸せになれたかというとそうでもなく。
お増には、家で預かっている若い娘(お今)がいて、後半ではどうやら浅井がお今にちょっかいを出しいているようです。そして、そのお今を追いかけて田舎から出てきた室(むろ)という青年も現れて。
と書くと、どろどろとした恋愛話のようにも聞こえますが、日々の描写が淡々としていて、あまり浮いた感じはないです。
話に大きな波もないので何が面白いのかと言われると、答えるのが難しいのですが、毎日少しずつ読んでいくと、明治から大正の東京で、お増というやや疲れた女性とともに人生を歩んでいるような不思議な感覚になります。頁を開くとき、今日はお増は何をしているんだろう?みたいな。
リアルな描写で庶民の生活を切り取っていて、人生ってこんなもんか、という気がしてきます。そこが魅力なのかな……よくわかりませんが。
一気に読むものでもないので、僕は毎日一節ずつ読んでいました。全部で60節あるので、2カ月です。実際には読まない日もあったので、夏に読み始めて3カ月ほどかかりましたが。
毎日の仕事や生活に疲れた気分と、作品のなかに漂っている雰囲気とがよく合っていて、気だるい夜に読むのにぴったり。良い読書体験でした。