スピッツ「インディゴ地平線」アルバム感想

「インディゴ地平線」は1996年10月に発売されたスピッツの7枚目のアルバムです。
   大ヒットした「渚」とスピッツ史上最も売れた「チェリー」が収録されていることもあり、前作「ハチミツ」、前々作「空の飛び方」と同様に、かなりメジャーなアルバムなのではないでしょうか?
スピッツ「インディゴ地平線」

   正直に書くと「インディゴ地平線」は苦手なアルバムでした。重い?暗い?何といえばいいのでしょう、先行して発表された「チェリー」「バニーガール」「渚」のさわやかで軽やかな曲調を期待して聴くと、あれれ?なんか違うぞって気分になります。
   そして、この違和感の正体が何なのかがよくわからない。

   スピッツの白い本のなかでは、三輪さんがミスチルの「深海」を比較に出してましたが、「深海」ほどディープでヘヴィーというわけでもなく。また、バリバリのハードロックかというとそうでもなく。難解なのかと言われると、いつものスピッツ以上に難解ということもない。
   だけど、決してキャッチ―ではない。どことなく重苦しくて、最後まで聴き続けるのが辛い。それがこのアルバムの感触でした。
   ただ、この感触は自分だけではなく、多かれ少なかれ一般的なものだったように思います。当時、BOOK-OFFに行くと「インディゴ地平線」の中古の数は同時期のヒットアルバムのなかでも多かったからです。(「深海」の中古市場もそんな感じでした。この2つは発売時期も近いし、大ヒットシングルを含んでいるという意味でもやっぱり何かよく似ていますね)

   三輪さんが上記の同じ本のなかで「インディゴ地平線」を「マニアック」と称していましたが、案外そのへんがこのアルバムを「苦手」「辛い」と感じた理由かもしれません。
   また、草野さんが「一括りで『青春ソング』みたいな感じで取られると、ちょっとイヤだなぁ」と話されていたので、「脱・青春ソングバンド」という意識も多少あったのかもしれません。その結果、”一見さんお断り"なマニアックでやや重めのアルバムになってしまったのではないかと思います。

   とはいえ、なんだかんだで、20年も聴いていると、自分の音楽の趣味も多種多様になってきて(経験に感謝!)、最初の”苦手感”も取れて、今では普通に楽しんで「インディゴ地平線」を聴いてます。
   アルバムのイメージは、ふわふわと空に浮いたような空想の世界でもなく、現実の世界に引き戻されたリアリティでもなく、空想してるんだけど地に足がついた感じ。そして、ぱっと聴くと実験的なように聴こえて、実はどの曲もサウンドがどっしりしていて、しっかりと作りこまれています。クールでかっこいいというのが今の自分のシンプルな総評です。色もブルーですしね。

   また、「インディゴ地平線」でマニアックな海に深く潜ったからこそ、次に浮き上がったときに、繊細で清々しい「フェイクファー」というアルバム(自分のなかで一番好き)が生まれたのではないかと思います。
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   おすすめ曲はシングル2曲を除くと「インディゴ地平線」「ナナへの気持ち」「虹を越えて」「バニーガール」です。「初恋クレイジー」もよいです。