大阪からの出張の帰り、夜の特急のなかで徳永英明の「Nostalgia」を聴いてた。
ガタガタと揺れる古い特急の窓。
北陸の寂しい夜の闇にぽつぽつと光る人家の灯。
秋の肌寒い空気とNostalgiaの暗く深い音。
いつも音楽を聴きながら帰る夜の特急は古い記憶を呼び覚ます。
それが「徳永英明」だとよりいっそうその傾向が強くなる。
十代のころの僕は、夜の深い闇に潜るように徳永英明の音楽に耳を傾けていた。
そこにほんの少し背伸びした違う世界を感じていた。
目を閉じて、そんなことを思い出した。
ああ、やっぱり徳永英明は夜が似合う。
徳永英明の音楽は夜に聴くイメージが強い。
実際には「太陽の少年」のように朝を感じさせるアルバムもあるし、昼や夕方の印象のアルバムも多い。
それでも徳永英明は夜である。
新しいアルバムが出るとわかったら、それは夜だろうか?朝だろうか?とアルバム全体のイメージを一日のどの時間帯に合うかでつい考えてしまう。
別に、夜だから良い、朝だから新しい、とかそういうわけじゃない。
ただ、僕が勝手に夜にこだわりたいだけ。むかし夜はなにか別の世界のようで、どこか特別だった。そのときの感覚を僕は徳永英明のなかに感じていたいのだ。
それは感傷で、郷愁のようで。
* * *
そんなことを書いてたら、いつのまにかインスタグラムに、徳永さんが「Nostalgia」(歌の方)の弾き語り動画をアップしていました。
Nostalgiaのぴりぴりと肌に刺さる感じ、いいですよね。
いつも思うのですが、アルバムに収録されていないのが残念。
それにしても「親のことを尊敬しない子供が生まれる 全部全部僕らが大人が悪いと思う」という歌詞を、どう処理すればいいのやら。
子供の方の気持ちで聴いていたのに、いつのまにか親の方の立場になってしまった。
というか、古い歌なのに今でもこの歌詞が通じるというのも、どうなんだろ。
社会は何も進んでいないし、良くなっていないということなのだろうか。
なんだかなー。
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